「おやじのビデオのはなし」構造

2022年06月05日

 性の目覚めというテーマだと、大体まあ男であれば路上のエロ本がどうとかエロビデオがどうとか、あるいは少年ジャンプのなんかの作品がどうこうという話になるかもしれない。実際俺にもそうした経験はあり、路上に落ちてたエロ本に興奮したりというのはあるのだがこの最大公約数の処理という話であれば俺は過去2ch時代に七北田橋という詩を発表しているのでそれで間に合っている。ポリコレ上問題ある詩だけど一応今回可能であればミキさんに言って一緒に載せられないかを頼んでみようと思う。

 性の目覚めという意味だと俺は間違いなくゆがみがなくストレートすぎた。小学校高学年の俺に「子供はどうやってできるのか」と聞いたらまちがいなくこう即答できたのだ「こうびしたららんしがせいしとじゅせいするからでしょ」と。俺んちときたら親父が畜産系だったので夕食の時の会話に平気で種付けがどうとか、冷凍精子や冷凍卵子がどうこうとか、受精卵がどうこうといった話題がとびかっていた。思春期の姉ですら顔をしかめることはなかった。当時でも女の裸を見れば興奮したりもするわけだが、それが基本性行為の認識と完全に隔絶していたというのはちょっと特異ではないかと思う。

 ということでうちのVHSの棚には「発情メカニズム」とか「アニマルセックス」といった題名のビデオが並んでいたのだがどんな内容かというのは上でネタバレした通りになる。小学校高学年になれば男子はそろそろ性に興味を持ち始める年ごろになる。「発情」「セックス」このキーワードに反応しない男子は俺を除いていない。ファミコンしにきたにもかかわらずビデオの棚を見て友人は反応する。その後何分かしてゲームオーバーになって「ちきしょー」とリセットボタンを押したあとで「おい」と俺に話を振る友人。「なんだ」と答える俺。「あれっておまえのおとうさんのビデオか?」「ああそうだよ」「ちょっとみせろよ」と言われる。「いやだよおこられる」「えーいいじゃん」「やだって」「やくそくどおりぎゃくしゅうのシャアのビデオもってきてやったろずるいじゃん」

 小学生男子にとって等価交換は絶対の原理だ。何かをしてもらったら何かを返さなければならない。みんなが大好きなガンダムのビデオだ、それなりの対価が必要だというわけだ。「こないだドラクエかしたろ」「おれだってマリオ3かしただろ」そんなやりとりが続いたあとでムカついたであろう友人は言う「じゃあおまえとぜっこうな」

 交渉手段として絶交を出してくるのは男子小学生にありがちなパターンだ。俺は気が弱く、このパターンはダメだった。「わかったよ」と俺は折れ、そして友人に念押しする「ぜったいにだれにもいうなよ」この言葉で友人の興奮はマックスになる。「もっちろん」

 まずは学習ビデオにありがちな間の抜けた「ピロリロリー」という気の抜けたオープニング曲が流れ、斜体明朝で「発情のメカニズム」という感じの色のついたテロップが「ピョーン」と間抜けなシンセ音と一緒に出てくる。この間抜けさであれ?と疑問を抱いたであろう友人も、頭の足りない小学生の悲しさかまだ期待を捨ててない。逆にチープな斜体明朝を見ておいおいコレはひょっとしてとてつもなくいけないビデオなのかと興奮と恐怖が入り混じった表情がうかんでいるくらいだ。次に牧場でモーと鳴く牛が出てくる。「そ、そと!そとで!」と思わず声を出した友人も冷静な女性アナの声で「牛には発情期はなく、◎◎日ごとに周期的に...」といった声が聞こえ、次にイラストで牛のホルモン分泌を説明しだしたあたりで表情はみるみる失望に変わっていく。

 「もうこれいいよ、あれ見せろよ」「ぜったいないしょな」と俺はもう一度念押しするが内容はアニマルなセックスではなくアニマルがセックスしているだけのものだ。そんなわけで一分後には「つまんないな、シャアみようぜ」と友人から切り出してくる羽目になった。気が弱くビクビクしているおれはまだ「ぜったいないしょにしろよ」とまだ念押ししていた。







構造