「キャッチボール⚾︎について」もり

2023年03月13日

3年ほど前から「キャッチボーラー」を名乗り河川敷などでキャッチボールをしている。キャッチボーラーといっても何か資格が必要だったり、明確な定義があるわけではない。
野球を観ることは昔から好きだが、チームに所属し野球を習った経験はないので、キャッチボールに関してはど素人。ただ「キャッチボーラー」という響きが好きで使っている。

活動は月数回。社会に馴染めない同世代の男3人、多摩川の河川敷に集まってやることが多い。
「キャッチボールしようぜ」と言って集まるのだが、ほとんどの時間は草に囲まれたブルーシートの上で駄弁ったり、タバコを吸ったり、ギターを爪弾いたりしている。日暮れ間近になって「そろそろやりますかぁ」と腰を上げる。そこからはホームセンターやAmazon等で各々が仕入れた安物のグローブに軟式ボールが収まる音と、たまに暴投して「すまん!」と叫ぶ声が響く。
とくに技術の向上を目指しているわけではないのだが、ここ数年で息は合ってきている気がする。

「ジモティー」など、ネットの掲示板で募集を見て来てくれる人もたまにいる。年齢性別はさまざま。
高架下でひとり壁当てしている80歳のおじいちゃんに声をかけてやったこともある。コロナで退屈していたので嬉しかった、と言われた。

何度かひとりで遠征もした。
ネットで知り合った人と「はじめまして」の挨拶もそこそこに出会って◯秒、キャッチボールをする。
小学生のとき以来のキャッチボールです、と言う人が多い。そしてキャッチボールした後、意外とキャッチボールって楽しいですね!と言う人も。
次 会うときにその人がマイグローブを買って来てくれたりすると、なぜかおれも嬉しくなるという。
約束の待ち合わせ場所に来なくてすっぽかしを食らったことも数回あるが、だいたいひまなのでダメージは少ない。

「キャッチボールいいなあ」
自分が最初にそう感じたのは、2018年に色々あって、一か月ほど精神科の病院に入院したときである。
入院生活の終わりのほうで、作業療法に参加したとき、体育館でくたくたのグローブを使ってキャッチボールをした。作業療法士の方が野球経験者で、こちらが本気で投げてもキャッチしてくれ、久々にさらっとした汗をかいた。他の入院患者ともキャッチボールをして、一人ひとり、投げ方だったり球筋だったり投げるときの表情やボールの追い方が違うことが、当たり前なんだけど再発見で、おもしろいと感じた。

あと、キャッチボールのどこにも行けない感じ。行かない感じに好意を持っている。
勝った負けたもない。平行線。シンプルイズ。
意味に溢れるせかいで、その無意味さにほっとするというのか。
だからあまり意気込んでその魅力も伝えづらい。じわっと浸透すればいいな、と思う。
最近は公園でもキャッチボール禁止のところが目立つので、キャッチボールをする時間や場所の余裕が社会に生まれればよいなあ、とぼんやり。

野球をバリバリやっておられる方はキャッチボールの大切さをよく説かれているので、そういう方からすると、万年アマチュア感漂うおれらのやっていることはキャッチボールとは呼べないのかもしれないが、まあもしそうだったら名前なんて何でもよくて。
野球経験者じゃないからこそできるキャッチボールはきっとあると思う。

書きながらふと思ったのだが、なぜ「キャッチ(受け取る)ボール」なのだろう。ささっと調べてみると、
「キャッチボールは相手が投げた球をしっかりと捕球し、さらに相手の捕りやすい球を投げ返すことが重要であるとされる」(wikipedia)と書いていた。ふむふむ。
あとアメリカではキャッチボールのことを「Play Catch」と呼ぶみたいですね。キャッチボールは和製英語だったのか。完全に日本語で表すと何になるだろう。パッと浮かびませんが...

寒い時期は休止していたけど、これからの季節はまた、リュックにグローブとボールを忍ばせて、外へ出て行きたいと思っています。
キャッチボール相手、ほんのり募集中です。キュートな女の子とくに。

https://youtu.be/9xQNxRGJxyM
ある日のキャッチボールの様子





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