「北上の詩歌文学館でゲームについてという題で展示が行われてたとき」構造

2022年05月13日

ずいぶんまえだ。北上の詩歌文学館でゲームについてという題で展示が行われてたとき、俺はたまたま岩手県北上市にいたので見に行ったのだが、ゲームについてまともに語ってる/対応している人間が山田亮太という詩人以外にいなかったのでかなりがっかりした記憶がある。◎◎はある意味ゲームだとかゲームに対して語らないための変化球を皆駆使しようと必死だったのだ。「おいおいわかってねえなゲームに対して語ってるぜ○○という」みたいな変化球だ。どうでもいい事柄について"ある意味パンク"とか持ち上げるみたいなごまかしがみえてあまり好きじゃあない。

しかしそこまでゲームというものは非詩的なもんかねえと思いながらも思い出を書いてみるとマジでただの思い出なのでびっくりした。さらにさらにずいぶんまえだ。アクションRPGゲームのくせにセーブ機能がなかった仮面ライダー倶楽部で最終面までようやく進み、電源入れっぱなしにして学校から帰ってきたらバグってて苦労が台無しになり泣き叫んだりした思い出。ガシャポンウォーズカプセル戦記で友人が操るサザビーにνガンダム三機をボコボコにされて逆切れしたり、グーニーズを盗んだ疑いをかけられたS君をクラス連中と一緒に糾弾してしまったり(のちに無実と判明)など、苦い思い出ばかりだ。

まあもっとさかのぼってみよう、幼稚園のころにパソコンを買ったというすこし金持ちの親戚の家へ行ったことがある。「まことちゃんの◎◎ゲーム」みたいな題名のプログラムが書いてる冊子があり、これを打ち込んだらゲームができるのだと聞いた。ほかの手段としてはなにかカセットテープレコーダーをパソコンにつなぐ方法があるらしかった。プログラムの概念は理解できなかったがとりあえずゲームというのは自分で作るか打ち込むものなのだと思った。

その後スーパーカセットヴィジョンを買った友人の家へ行った。ニューラリーXの音楽はいまだに覚えている。何が起きているのかはわからなかったがどうもすごいことらしいとおもった。とんでもない貧乏な友人の家でもなぜかロードランナーをできるゲーム機があった。水洗トイレもない借家に住んでいるほど貧乏なくせにパソコンもあるという変な家だった。風のうわさにその友人の兄貴は凸版印刷に就職したと聞いた。強烈な憧憬が色濃く残っているのはスーパーマリオが登場し一気にファミコンが天下を取る以前のあの時代だ。加えて今考えてもわからないミステリーのが俺の頭の中に残っているのがあの時代だ。あいつらはどうやってパソコンを手に入れていたのだろう。あのゲーム機は子供から見ても海外製だった。どうやってあんなものを手に入れたのだろう。

それから六年くらいの年月が経った。中学校一年のころ、湾岸戦争の直前くらいにアメリカに行った同級生がいた。バカにするように話していた。「信じられるか?ファミコンがアメリカでようやくブームだ。あいつらスーパーマリオ程度ですげえと言ってるんだぜ?しかもソフトはビデオ屋でレンタルしてんだ。どうやってやり込むんだ?」子供のころ、アメリカはつねに日本の上を行っていると思っていた。しかし子供でもわかる実感レベルでアメリカはしょぼいなと感じてしまった。