「脳腫瘍闘病記3」危機とララ

2022年06月21日

2021年、9月に病気が発覚、12月に紹介状を持って北海道から東京の名医のもとへ。
3センチあるね。白い腫瘍が映った画像は何度見てもがっくりした。本当に脳腫瘍なんだって。
全国から患者さんが集まるので、何か月か待つことに。
手術の日、段取りを決めた。顔面麻痺はどれくらいの割合でなるのか、など聞いた。
今思うと徐々に治るなら別にどうってことはない。手術、術後が辛すぎて、気にしすぎることではなかった。
大船に乗ったつもりでいくしかないね、と。そうだね。うむ。
きっと、大丈夫だよ、と友人から。大丈夫だよ、は魔法の言葉だね。
大丈夫?と聞かれるより、大丈夫って言ってほしい。何かの歌詞かな
そのあと相談役みたいな人と手術までどう過ごせばいいのかなど
細かいことを話した。脳圧うんぬんのため術後しばらく飛行機には乗れないって。
飛行機にも乗れないのなら...
酒もセックスも健康なうちだなあと思った。
手術したらはい目覚めて元気、てわけじゃない。そのあとIÇUに入って...管が一本づつはずれて。退院しても思うように体は動かない。
長い時間をかけてほんの少しづつ回復していく...。親身で優しい人だった。泣いてしまった。
大学病院は会社でいうと一流の大企業みたいなものだ。
自分にかかわった医療従事者みんなプロだった。
入院中の看護師さんたちも若いのに素晴らしく仕事ができるし、患者さん一人ひとりに寄り添ってくれる。
白衣の天使っているんだね。死ぬときはここで、東京で死にたいな。
病院は、建て替えたばかりで明るく開放感があって、中庭がおしゃれ。
西新宿の景色、行きかう人々見下ろしてここでなら治療も頑張れそうだなと思った。
やはり狭い地元の陰鬱な入院病棟でドン・キホーテの看板見つめて3週間も過ごすことはできない。
帰りにミキさんと少し会った。ミキさんのバンドのCD買ってお金を渡すとすぐにミキさんは「お金入ったし少し飲むか」って言った。
すぐに使っちゃうんですね。横丁に向かうミキさん。いつも少年みたいだ。









危機とララ