「T-theaterのこと 序 1990年代のネット環境」奥主榮

2023年03月03日

 T-Theaterというのは、1996年に僕が立ち上げ、その後十年余りの期間活動を続けた、詩の朗読を中心とした舞台集団の名称である。結成から四半世紀ばかり過ぎ、十五年ほど前に活動を終了した集まりについて、記憶はかなり薄れているが、覚えていることを書き残しておくことにする。

 初めに僕のことを書いておけば、二十代の半ばから塾教師という仕事をしていた。午後から出勤し、深夜に帰宅するという生活である。ネットもメールも、スマートフォンどころか携帯電話も普及していなかった時代である。世間の普通の人々とは時間差生活をしていて、周囲とのつながりも失せていた。僕は自分自身ではそうした状態を「世捨人生活」と自嘲していた。
 1993年、三四歳のときに、パソコン通信を始めた。

 今では、パソコン通信というものについて、説明が必要なのではないかと思う。十年ももたなかったメデイァだからである。
 1980年頃から、マイコン(マイクロコンピューターの略)が徐々に一般化していく。それまではコンピューター(電子計算機と呼ばれていた)といえば、巨大な機械で専門的なプログラミング技術をもった人だけが扱えるものであった。(初期の巨大なコンピューターは、上野の国立科学博物館の地下に展示されていたこともある。今もあるかどうかは知らない。) それが、個人で所有できるものとなり、価格も一般的なものになっていく時期に、各家庭の個人用コンピューターを電話回線を通して繋ぐ、パソコン通信というのが生まれた。まだ、接続は有線が主体であり、今の連絡手段のような無線には頼れない時代であった。
 パソコン通信を、今のインターネットの前身とは思わない。感覚的に書いてしまえば、パソコン通信は井戸端会議と町内会の回覧板の要素があり、インターネットは弁護士を通じた会話と役所が出す広報の香りをもつ。どちらが良いかという優劣はない。
 パソコン通信は、他の人とつながりたいと思って、パソコン通信会社(多くはPCハードのメーカーの子会社)に申し込み、契約をする。すると、同じ会社に申し込んだ相手だけとやり取りができる状態になる。そんなパソコン通信を始めた1993年というのは、双方向性を売り物にしたメディアが一般化しつつある時期だった。
 他の人と生活時間帯がずれていた僕にとっては、書いたものを時間差で誰かが読んでくださるメディアは嬉しかった。

 僕が参加したパソコン通信会社は、自社のサービスの中に「フォーラム」というのを設置していた。住んでいる地域や生活時間帯に縛られない愛好会のようなものである。

 そうした中に、「詩のフォーラム」というのがあった。それを見た瞬間、僕は思った。詩のような、携わる人によって価値観の異なる集まりが、不特定の人間が相互に意見を交わせる場所など、成立するはずがない。怖いものみたさの興味本位で参加した。(この詩のフォーラムで出会い、後年妻となる女性からは、この話をしたときに「悪趣味」と断じられた。)

 ただ、そんな不純な動機で参加した詩のフォーラムで、面識のない方々とのやり取りの中で学ばさせていただいたことが数多くある。それらは、ここからの話を書いていく上でとても重要なことなので、いくつかまとめておきたい。
 第一に、ネット上の発言というのは、第三者の校閲を受けていない、まかり間違えば無節操なものとなるという指摘。この指摘の重みを、その後僕は何度も反芻する。「自由に書ける場所」での発言というのは、同時に「独りよがりで独断的な意見」ともなりえるのである。
 第二の指摘も、大切なものだと思っている。ネットで発言するということは、公の場でへらへらと周囲に向けて自分の主観を語ることでもある、と。そんな指摘であった。どれだけの気持ちを込めた発言であろうと、それは周囲にだらしなく自分の主観を語っている。これは、その後の僕の表現への訓戒となった。
 街を歩いていて、路上で怒りをぶちまける人々に出会ったことが、何度もあった。泥酔し橋の上で怒鳴り散らしているのだが、声が割れてしまい何を言っているのか聞き取れない男。道ですれ違いざまに、「織田信長は悪人だったんだよ」と同意を求めていらした方。それぞれに切実な背景を抱えていたのだろうけれど、対応に困るのである。けれど、そうした方々を目にするたびに、僕は思っていた。表現活動など、周囲から避けられる彼らの行為と余り変わらないものであると。

 これは、ネットという媒体に限られない。表現活動の根底につながる問題であると、そんなふうに思った。
 路上で怒りを通行人に叩きつける方々には、それぞれの切実な怒りがあるのだろう。僕はそれを否定できないし、他人事とも思わない。当時から僕は、あらゆる表現は滑稽であるという気持ちも抱いていた。
 作品というのは、どれだけ深刻ぶろうと、どこか芝居がかったものである気がしていた。一度、ある歌人の方にその作品世界が余りに戯画化されていることについて質問したとき、「作品というのは一歩間違えると深刻ごっこに陥りがちなので」ということを指摘された。
 深刻になっている自分に酔い痴れることほど滑稽なことはない。

 僕の好きな漫画家に、つげ義春という方がおられる。実弟のつげ忠男も漫画家である。二人の資質には、一点決定的な差異がある。つげ義春の作品は、一見深刻な内容を描いていても、どこか軽妙な部分があるのである。ある意味では話を持っているともいえる。一見私小説的に見える「無能の人」の内容の通りの生活をしていると思い込んでいるファンの方と話していると当惑することがあるといった話を、ご子息がどこかで書かれていたのを覚えている。つげ忠男作品は、そうした深刻さの回避が余りない。読者を追い詰めるかのような切実さが描かれることもあり、それが魅力的である。(「無能の人」と同じ「コミックばく」に連載された「けもの記」は、雑誌の廃刊により未完成に終わったことが非常に残念である。良心を持つことができないまま生きてきてしまった男が、微罪で捕えられた警察の取り調べ室の中で悪逆な罪に満ちてきた自分の生涯を自白していくという長編作品で、完結していれば文句なしにつげ忠男の代表作になった作品である。) つげ忠男ぐらいに徹底して読者を追い詰めていくことができる作家ならいざ知らず、中途半端な深刻ごっこほど表現者が避けなければならないものはないと僕は考えている。
2023年  3月  1日