「オージャス・ラウンジの思い出」大村浩一

2022年08月05日

 ポエトリーシーンの最前線からしりぞいて12年になる。東日本大震災の直前、2010年の11月に仕事の都合で故郷・静岡へ戻って以降、詩の活動では沈滞してしまった。コロナ禍を受けて静岡県詩人会に入会してみたが、本格的な復活には程遠い。そんな有様で記憶も曖昧だが、敢えて文章を起こしてみた。特に年号や人名など、相違があれば遠慮なくご指摘を頂きたい。
 第一回のウエノ・ポエトリカン・ジャムが2000年か、2001年だったと思う。(えひめ丸の衝突事故と同じ頃だ)それまではどっちかと言えば現代詩寄りの詩人だった私は、ニフティ・サーブ上での活動から徐々に幅を広げ、その頃からポエケット(詩誌即売会)主催のヤリタミサコさんや色々な詩人たちとの出会いを経てBen's Caféのオープンマイクにたどりつき、オージャス・ラウンジにも少しの間、出入りしていた。
 オージャスは赤坂トンネルの先、いま思えば青山学院や墓地からそう遠くない場所にあるカフェバーだったと思う。地下1階だったかな? 入口にはタイル造りの装飾があった記憶がある。オージャスでの詩のイベントの主催者はMIMIさんという女性詩人で、Ben'sにも来て詩の朗読をしていた。私もあちこち行って修行しよう、と思って足を伸ばしてみた。
 カオリン・タウミ氏はすでに故人となっていたが、その息吹きを想う詩人は沢山いた。そして、ポエトリーリーディングを主とする詩人たちと数多く出会った。青木研治さんや西川眞二さん、萩原哲夫さん、石渡紀美さんも時々来ていたと思う。『PoeTa STeaRS' PaRk』という、さいとういんこさんが企画したCDには、そうした詩人たちの幾人かと共にMIMIさんの朗読も収録されている。貴重な資料だが、そのほかでは記憶に戻ってこない名前も多くて焦る、とり上げていない詩人さん本当にゴメン。
 のちに「鉄腕ポエム」を主催する蛇口さんと、初めて会話を交わしたのも確かオージャスでだ。その時に何か小さな自動車の並んだ、版画のような絵を見せられて「僕はこれが詩だと思うんだな」と言われて答えに窮したのを覚えている。彼の詩は虚無感とペーソスがないまぜになった独特の感覚が魅力で、感受性では私よりよっぽど上だった。
 彼だけでなく、オージャスにくる詩人は表現力や気合いに溢れていて凄かった。Ben's Caféは誰でも気軽に入れて詩も聞けるカフェで、ポエトリーリーディングのエントランス(入り口)だったが、これと比べるとオージャス・ラウンジはまさしく梁山泊という感じだった。夜遅くの開催で、帰りは終電間際なので勤め人の私には辛く、次第に足が遠のくうちに、店が無くなって終わってしまったイベントだったが、あの薄暗い店内で味わったポエトリーリーディングの強い印象が、今の自分を詩にまだ繋ぎ止めている力のひとつになっていると思う。






大村浩一