「部屋に閉じこもることによってこの世と通ず」湯原昌泰

2022年01月04日

東京荒野という雑誌を作り始めて7年。自分の作品を載せる場がなかった僕はその場を自ら作ろうと、季刊誌東京荒野を発行した。それ以前には10年ほどの音楽活動も行っていたが、当時は共演者と喋ってはならない、喋って心が通じてしまったら、歌がよくなくても友達になってしまう、と本気で思っており、まるで喉を潰すためかのように歌い、結果10年間でできた友達は片手で数え切れるほどという、つまりはさえない歌を歌っていた。その音楽活動を休止して今、僕は年4回東京荒野を発行している。

第1号を出した時のことはよく覚えている。2014年の10月、15年5月に雑誌を出そうと思い立ち、以来第1号の発行目指して本作りを勉強した。
文芸サークルにいた経験もなく、また、コミケや同人誌即売会にも行ったことがなかったから、どのようにして本を作るのか、最初は何もわからなかった。それでも「本 印刷所」とか「雑誌 作り方」などをグーグルで調べ、ヒットした印刷所数社をまわり、その中で一番話を聞いてくれた印刷所(緑陽社)で東京荒野は作られている。第1号に依頼した原稿は15作品。そのどれ1つとして断られることはなく、僕は集まった原稿1つ1つに大袈裟でなく手を合わせ、ありがとうございます、ありがとうございますと声に出しながら統合、PDF化を行った。

さて、三上寛さんの歌、「かみ」には、「紙はシでありシでありシである」という歌詞がある。その「シ」は「志」、あるいは「師」と変換されているが、僕の思いつく「シ」に「師」はなく、俺はなんて傲慢な人間なのだろうと震えたのを覚えている。紙で本を出すということ、それは紙に物語を閉じこめるということであり、閉じこめられたからこそ物語はこの世の中に体を得、誰かにそれを手渡すことができる。最近俺、こんなの書いたんだよ。第1冊目を作った時、作者はきっと大切な人にそれを渡すだろう。

考えてみれば人間とは体に閉じこめられた物語である。物語は山を越え、物語は人と話す。部屋に閉じこもることによってこの世と通ず。部屋に閉じこもることによって抒情詩の惑星に通ず。