「秋月祐一とけんごの短歌ワークショップ 〜はじめての短歌〜 第六回」秋月祐一

2023年03月15日

けんごさん、こんにちは。秋月祐一です。

【原作】
色鉛筆はじめて使ったその時に世界が全部描けると思った

【改作案】
色鉛筆のはじめて使う色たちよこれで世界が全部描けると

この改作案をお読みになられての、けんごさんのご感想を
要約させていただくと、

原作では「色鉛筆」と、それを使って感動している「私」の
2つの登場人物がいるけれども、
改作案では、色鉛筆と言う「物」を主人公にする事で、
「色鉛筆のはじめて使う色たちよ」と色鉛筆に語りかける人の
「うわっ!やった!」という気持ちに読む人の目がいく。

という部分を興味深く拝読しました。

短歌は31音の短い詩型なので、
感動の一点突破に向いているんですよ。
(もちろん、そうではない短歌もありますが)

「色鉛筆のはじめて使う色たちよ」と色鉛筆を前面に出し、
そう思っている人物は、歌の背後に存在させる。
ぼくの推敲案は、まさにそんな感じです。

「物をして語らしめよ」というのは、
短歌の世界では、よく使われる言葉です。
「色鉛筆のはじめて使う色たち」とか、参考例で使った「ビリジアン」とか、
ごく小さな、手ざわりのあるものに焦点を当てることによって、
かえって読者の想像力が広がる、ふしぎな詩型なんです、短歌というのは。

そして、

>「描けると」で終わる事で短歌らしいリズムが出た!
>と感じました。

というご感想もいただきました。
「描けると」で終わることによって、
これから、まさに書こうとしている感じが伝わるのではないか、
と思って、このようなかたちにしてみました。

    *

前回の振り返りが長くなってしまいましたが、
今回のけんごさんの提出作品を見てゆきましょう。

【原作1】天気雨濡れた背中を陽にあてて虹はどこだと自転車をこぐ

これは、このままで完成してると思います。
天気雨で濡れた衣服が陽差しの熱によって温まってゆく、
という繊細な感覚がうまく捉えられていると思います。

ご参考までに、下の句の「虹はどこだと自転車をこぐ」に焦点を当てた
改作例をお見せしましょう。

【改作1】虹はどこだと自転車をこぐ天気雨濡れた背中を陽にあてながら

「虹はどこだと」は7音で字余りですが、
塚本邦雄という歌人が7・7・5・7・7という形式を多用して、
短歌界に定着させました。これを「初句七音」と言います。

(ちなみに、5・7・5・7・7の各部分を、
 それぞれ初句、二句、三句、四句、結句と呼びます)

それはともかく「自転車をこぐ」を前に出したことで、
状況が見えやすくなったのではないでしょうか。

    *

そして二首目の作品。

【原作2】夜と朝太陽と月夜明け前昼に生まれて燃えたかった月

これは31音という短い詩型で表現するには、
要素が多すぎる、言葉の密度が濃すぎる、という感じがします。

夜と朝、太陽と月、夜明け前、昼に生まれて燃えたかった月

おそらく、下の句の「昼に生まれて燃えたかった月」が
けんごさんのいちばん言いたいことだと思うのですが、
思い切って、上の句は天体から離れた、人間のことを読んでみるのも、
ひとつの手だと思います。

つまり「昼に生まれて燃えたかった月」を、心情の比喩として使う作戦です。

いきなり高度なことを言っていますが、
けんごさんなら理解してくださると思っております。
わからない点があったら、お気軽にご質問ください。

ご改作をお待ちしております。




秋月祐一とけんご