「伝説の生き物」湯原昌泰

2023年07月31日

仮想というものについて考える時、僕は中島らもさんの言葉を思い出す。
「ここに見えないボールがあるとする。僕がそのボールを掴んで投げると、君はそれをキャッチしようとする。ではこのボールはあるのか?それともないのか?」
正しい抜粋ではないが、概ねこういった言葉だった。

なかったこともないという点においてあったことであるならば、大学時代に好きだった人と数年ぶりに会う前に、念のためとコンビニに寄ってコンドーム、0.3ミリ、0.2ミリ、0.1ミリの選択の果て、0.2ミリを選んだ男をどうか許してほしい。だって結局使わずに、家に帰って電球の下、一人一物にゴムをつけ、今日もこの世は平和だったとそう人知れず泣くのだから。

多分この世のすべての作家、あるいは作家志望には、自分とよく似た者を救う義務がある。だから誰かの真似をして誤魔化してはならないし、見つけた言葉から逃げてはならない。大病に罹ろうが、誰彼に不要とされようが、そこで見たもの聞いたもの、いつか自分によく似た人が、自分を殺さず済むように、人を殺さず済むように、あらゆる感情を飲み下し、そうかすべてはこの一行を書くためと、耐え、そして忍ばなくてはならない。縁というものはこの世にあるか。運命というものはこの世にあるか。金は一体この世にあるか。幻聴は一体この世にあるか。僕が今住むアパートは、株式会社ラモの中島さんに担当してもらった物件だ。入居前、「らもさん好きなんですか?」と聞くと、中島さんは困ったように、「よく聞かれますがまったく関係ありません」と少し笑ってそう言った。




湯原昌泰