「周辺シ 5」クヮン・アイ・ユウ

2023年04月24日

「※(1)困った人は困っている人」
前述の言葉を肝に銘じて働いています。自ら手を挙げて、困りごとの説明が出来て、指示や提案に従う人がスムーズに必要な支援や制度に繋がっていく実情はあると感じています。福祉とは言えサポート側は契約制度を通して本人と関係する人が大半です。問題の背景には、本人の困りごとの整理や意思決定、(もっと深く踏み込むならばその)欲望形成にまで粘り強く関われる人を十分に配置出来ない仕組みによる影響も幾らかありそうです。
「死にたい」と述べる相談者に対して、「そうやって言う人に限って死なないから」等と笑いながら語る人間を前にして我慢ならない。怒髪天を衝く程の怒りを覚え相手に訴える。人の生き死にの話で笑うのはおかしいんじゃないかと。私は言う前にも震えるし言った後にもしばらく震えが止まらない。あー私はやっぱり臆病な人間なんだなー。止まない震えを感じながら、いつもそう思います。
 あなたの周りに困った人(私を困らせる人)は居ますか?

※ (1)「(本人の周囲の人にとって)困った人は(実は本人自身が)困っている人」



「※(2)周辺シ2」、それから。
 その人との付き合い方について、内部であれこれ喧嘩しながらも私は概ね自身が信じる方法でその人との繋がりを継続している。知られざる趣味があることを教えてもらえたし、少しずつ人間としてフェアな関係になって来たように思う。人間としてフェアな関係になるということは、仕事上の約束をさせたり説得したりする関係から離れたということだ。それでいい。そう思っている。周囲の人たちはまだ何か言いたそうではあるが。
 約束は、させるものではなくて、するものだろうと考えている。お互いがそれぞれに自ら約束するということが大切だと思っている。能動的か否か。契約関係で繋がる仕組みと少し離れたところで働く特殊な場所に立っている私は、だからこそ出来る仕事があると考えている。約束は両者間それぞれから伸びるベクトルが大切だというようなことを上で書いたが、説得はいつもする方とされる方の関係で成り立つと思っている。説得が説得である時点で対等から離れて行くものなのかも知れない。約束も説得もさせられたくないしされたくない。約束をしたい時にしたい。
 今私たちは、以前の私ばかりが指示を受けて動いていた関係から、お互いに配慮し合える関係にまで成りつつある。ドラマや漫画、映画のように短時間でズバッと解決しなければ鮮やかなヒーローも居ない。諸問題はそのままに、しかし何かが緩やかに確かに、変化して行くのを感じている。
 以前に福祉についてこう書きました。
「福祉とは幸せと言い換えられる言葉だそうです。人々の幸せな暮らしを達成しようとすることを指すようです。」
 幸せとは何なのか、簡単に述べられるものではありません。ですがその人との関係の継続が、その人にとって幸せが何なのかを考える機会を得ることに繋がっていたり、あるいは幸せに向かって行くものの一助となれば、私にとってこれ以上幸せなことはないなと思うのです。


※(2)「周辺シ 2」クヮン・アイ・ユウ 
https://poetry2021.webnode.jp/l/%e3%80%8c%e5%91%a8%e8%be%ba%e3%82%b7-%ef%bc%92%e3%80%8d%e3%82%af%e3%83%ae%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%a6%e3%82%a6/





クヮン・アイ・ユウ