「蜂と蟻」ヒラノ

2023年11月01日

渋谷、井の頭線とJRの連絡通路
ガラス張りの下、TVでよく見る交差点

東京、丸の内、ビルから見下ろす観光客とサラリーマン

池袋、北口、風俗店が入居している非常階段から見下ろす繁華街の雑踏

新宿、歌舞伎町、カラオケの屋上から見下ろす喧騒

蜂や蟻は社会性の高い昆虫として知られる
彼らは巣を守るためなら命をためらいなく放り出すし、またその仲間を助けようと積極的に加害側にまわる
チームワーク

蜂や蟻の有する脳の大きさとはどれくらいなのか?
彼らが生活するその巣は僕らの頭蓋骨よりも大きいかもしれない
さらに巣の内部、巣の外部
その行き来する距離を考慮すると、「巣」そのものがある種の高い知能を持っている可能性を、あなたは否定出来ますか?

人間の脳のシナプスに走る電気信号と、巨大な蟻の巣に生きる蟻たちの脳を走る電気信号と物理的移動距離の総和

これはどちらが発達しているのだろうか?

では、蜂は?
彼らが住む巣が骨格だと仮定して、そこに住み、子育てをしながら出入りする蜂の一匹ずつが巣が擁する細胞だとしたら?

つまり、彼ら一族が集結して、そうして人格的なモノ、「巣」そのもの自体にこそ個性を有しているとしたら?
繁殖して巣を大きくすることが人間でいう1人の子供の成長だとしたら?

蜂や蟻に、その一匹づつにそれぞれの人生があるはずだ

人間の子供のおぞましい殺戮、業者や自治体が散布する殺虫剤、ジェノサイドに巻き込まれ家も仕事も生きる意味も、失う個体も少なくないだろう

僕が着目したいのは、蜂や蟻は「個」が主体なのか?あるいは集団生活が「軸」で、自らは頻繁に新陳代謝を繰り返す細胞なのか?

渋谷、井の頭線とJRの連絡通路
ガラス張りの下、TVでよく見る交差点

東京、丸の内、ビルから見下ろす観光客とサラリーマン

池袋、北口、風俗店が入居している非常階段から見下ろす繁華街の無国籍な雑踏

新宿、歌舞伎町、カラオケの屋上から見下ろす喧騒

僕は見下ろして、見下されている
メディアとインターネットを駆使することで、さらに見下ろして、見下されていく、小さくなっていく
小さく、小さく…

飛行機から見下ろす僕は、蟻よりも小さい

どんな美人であれ、立派な政治家であれ、遥か上空から見下せば

虫だ

「個」と「集団」と、共存することは可能なのだろうか?
「個」は「集団」となりえるのだろうか?「集団」は「個」を代弁出来るのか?

人間が群れるとたちまちバカになる、渋谷のハロウィン、野球にサッカー、仕事の出来ない政治家、ロシアにウクライナ、ハマスとイスラエル、フェイクニュースとフェイクニュース

韓国政府に人格が与えられたと仮定しよう
韓国政府と韓国人はまったくの別人だ
北朝鮮政府に人格が与えられたと仮定しよう
北朝鮮政府と北朝鮮人はまったくの別人だ
ウクライナ政府に人格が与えられたと仮定しよう
ウクライナ政府とウクライナ人はまったくの別人だ
イスラエル政府に人格が与えられたと仮定しよう
イスラエル政府とイスラエル人はまったくの別人だ

日本政府に人格を与えたと仮定して、僕と日本政府とは全くの別人だ

僕の方がハンサムだ





ヒラノ