「見たくない見えない世界」ヒラノ

2022年04月16日

あれは小学生の時、
母親に連れられ、「本を買ってあげる」と近くの本屋へ。
高校生向けの数学の参考書だったと思う。そのカバーアートがマグリットの『白紙委任状』だったと知るのは成人してからしばらく経ってから、だった。
20年近くも不思議で、不思議過ぎて忘れる事が出来ない、そんな創作物って、あるのだろうか?それは当時の僕には難解過ぎて何もわからない高校生向けの参考書だったのだが、ある種の記号というか、不安と呼ぶべきか、対峙しなければならない疑問が存在していた。

「これは、高校生になったら、その意味が分かるのだろうか?」
「早く知りたい!」

1898年、ベルギーに生まれたルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット(René François Ghislain Magritte) は、シュルレアリスムの代表とされる画家であり、芸術家の肩書と並行し愛妻家であり、いわゆる小市民であった。あるいはそれを演じていた。(小市民、矮小なイラストレーターとして小さめの自己紹介を繰り返していた可能性が非常に高い)

幼い時、母親の入水自殺を乗り越え、不思議な作品を後世に残した。その功績は例えば、僕が千葉県津田沼の今は亡きダイエー8Fの本屋の参考書売り場で、とかで巡り合ったように。

作り手である以上、常に見られたい、視姦されたい、作品が愛されたい、と願うのは真理だと思う。それがどの様な形であれ、天寿が全うされた後もジェット機で国立の施設にそれら作品が並ぶというのは何度成仏しても足りない達成感だろう。果たして肉体が朽ち果ててもそれを感じる事が出来るのか?という疑問があるのだが、そういう真の意味でのレジェンド、セレブリティには愚問なのだと思う。そういう奴らはいつもこう言う。「だって、なっちゃったんだもの!」

彼の作品を是非ここをクリックしてざっとご覧になって欲しい。
彼は、こんなにも物語に溢れた一枚、一枚をいくつも書き上げた。それは童話の様な、あるいは大人のイソップ童話の様な、今で言う血の匂いが漂うサスペンスの様な、ハッキリ申しましょうか?統合失調症の妄想の様な、到底自分では描き切れない、でもどこかリンクしてる、知ってる、見たことがある何か「不思議な」としか言い得ない作品を遺した。

そして...
彼はそれら「謎」の一切の解説をせずに亡くなった。
謎は謎のままだ

転じて執筆業に勤しむ貴方だ。その量や頻度では無い。明確に言うなら文字数とかは問題では無い。オチの落し処が不明な自分でも抱えきれないとんでもない新生児の話だ。

答えの無い投げかけは存在して良いのか?
純然たる不安と疑問を発表して良いのか?

マグリットの功績の一端はズバリここにあると思う。

問答無用、説明不要、摩訶不思議かつ説明不能。それもある種の事実なのである。生きている以上、摩訶不思議な事を望み、翻弄され、それぞれが確固たるそれぞれに属するのである。たぶんね。

トンビが鷹を産む?カエルの子は帰る?分からない事には黙る?自分が書いたのに書いた自分が沈黙を守る?理由は書いた自分こそ一番理由が分からないから。

そういう話を視覚化したマグリットという人。自ら説明出来ない創作物、それだって十分に傑作の可能性がある。


いやいや待てよwww
お前が書いたんだろ?なんで張本人のお前がビビッてんのよ?
そういう説明出来ない自分自身だって、自分が産み出したものでしょうよ?

消しゴムで消すのか?ページごと破り捨てるのか?
それは中絶と変わらない消せない痛みが伴うのは承知の上か?
悪い事は言わない。どうかそのままで。どうか、どうか、今日の思いを消さないで。

それが誰のためになるのか知らないけど、少なくとも今日の貴方を、自分を、隠すなよ。歴史を前に隠すなよ。対峙しろ。作戦は簡単だ。白紙とペンで身構えろ。

もしかしたら、って発想はけっこうバカに出来ないらしいぜ?

そしてね、幼い時、母親の入水自殺 

結局、彼はこの事実に対して熟考し、模索し、思考実験を幾度も繰り返し、その都度、世間にその研究結果を絵画という形で発表していたのでは?と僕は思うのです。僕と母とあの時の母と。だから空白が常に隣に居る。

吸って吐く、を、繰り返して産み出す空白。今を、生きている。
吸って吐く、もう一度ゆっくり...

吸って... 吐いて...

握って叫べ








ヒラノ