「畑のこと」へちまひょうたん

2022年02月09日

 奈良の山間部にほんの小さな畑を借りて、野菜を育てている。
 畑を始めて3年目になるが、秋冬野菜が初めてうまくいった。昨年まではほとんど育たないか、育っても獣に食い荒らされるかだった。この冬は野菜を買わずに済んでいる。台所の野菜が残り少なくなるたびに、スーパーヘ買いに行くのではなく畑へ採りに行く。とても幸せなことだ。
 とりわけ人参と大根は豊作だった。白菜やキャベツは、ひどい虫食いに悩まされ成長もイマイチだが、自分一人が食べるには何も問題はない。秋に収穫した大豆は計ったら1kgあった。ようやく自分の大豆で味噌を仕込むことができる。

 1年前、畑のまわりをイノシシよけの頑丈な竹柵で囲うために、正月から竹を伐ってきては何百本もハンマーで地面に打ち込んだ。初夏にようやく柵を完成させてからは、イノシシに畑を荒らされずにすむようになった。ここの集落では、5年ほど前から急にイノシシによる食害が増えたそうだ。地元の農家さんたちは困り果てた。イノシシは猛烈な力で地面を掘るので、地上を囲うだけではすぐに突破されてしまう。そんなとき誰かが地中深くまで竹を突き刺して農地を囲う方法を考案し、効果がバツグンだったため、集落内でブームとなった。谷のあちこちに次々と建てられてゆく竹柵は、さながら戦国時代の砦のような、いかつい光景だ。

 先日畑で落ち葉に米ぬかをふりかけて堆肥を仕込みながら、なんで自分は畑なんかに惹かれていったんだっけ、などと考え、ふと大学生のころにアルバイトで働いていた京都の魚市場を思い出した。
 ヒラメをシメる作業が特に好きだった。水槽の中を泳ぐヒラメを網ですくって取り出し、まな板の上で後頭部にナナメにざっくり包丁を入れ、細いワイヤーを脊髄の穴から神経に沿って挿し込む。ビクビク体を震わせるヒラメをすばやく氷水に放り込んで一丁上がり。そういえば当時から、生き物が食べ物となって自分のもとに届くまでのすべてを顔の見えない他人に委託してしまうことに、違和感を抱いていた気がする。ヒラメをシメる時だけは「食べるために殺す」という当然の過程を自らの手に取り戻せたように感じていた。

  私はべつにヒッピーみたいに山奥で自給自足の生活がしたいわけではない。農業で生計を立てていくつもりもない。これからも平気でジャンクフードだって食べ続けるだろう。でも、ほんのちょっとでもいい、私のような軟弱な都市生活者が、自らの手で種をまいて、自らの手で収穫したものを、自らの血肉にするという営みをやってみたらどうなるか。どこまでやれるのか。実験してみたいのだ。