「T-theaterのこと 第四部 その後の展開」奥主榮

2023年12月31日

一、単独朗読会 そして詩集出版

 T-theaterの最後の公演の前に、僕は単独朗読会「在り続けるものへ向けて」を行った。2002年だったか'03年だったか、はっきりと覚えていない。T-theaterのような照明や音響を作り込んだものではない、自分の朗読だけに頼ったステージをやりたかった。
 会場は阿佐ヶ谷の、よるのひるね(夜の午睡)を選んだ。この店が開店したとき、今は無き池袋のぽえむぱろうる(詩の専門書店)にフライヤーが置かれていたのである。そのフライヤーに惹かれて店を訪れ、後には店で行われたいくつかのイベントも拝見させていただいた。ほしおさなえさんや、高原英理さんの朗読を聴いたのを覚えている。青林工藝社の作家や著作を集めての文化祭も行われたことがある。
 本当に一人でやる個人企画なので、お金のかかることはできない。ただ、フライヤーの写真とデザインはプロの方に依頼した。それから、これはその後も僕の朗読会では継続することになるのだけれど、その会を開催する主旨は明確に文章化した。このときは、過去の作品の中から選んだ作品を中心とし、それまでの詩作活動の一つの区切りとする旨をフライヤーに記した。この時期には単独朗読会は余り行われておらず、物珍しさもあったのか、20人前後の方々においでいただけた。開場前に店の前に行列が出来、当時近くにあった喫茶店プチのご主人が何事かと思って、外の路上に見にいらしていた。(敗戦後の時期から長く店を続けていた喫茶店であったらしい。とても素敵なお店だったのだけれど、その後閉店された。おそらく、常連のお客さんが描かれた絵などが店内に飾られているのも魅力な場所であった。)


 よるのひるねでは、その後も不定期に朗読会を開催してきた。ただ、初回こそ物珍しさで人が集まったものの、二回目以降は低迷した。特に二回目の朗読会は、他のイベントと日程が重なった上に、台風が訪れるという二重の不運に見舞われた。

 このとき、重なったイベントは、若くして急逝された、不可思議/wonderboyさん(以下、ワンダーボーイさんと記述)の追悼イベント。それを知った瞬間に僕は、集客は壊滅的な状態になることを直感した。夜の仕事をしていて、平日の詩関連のイベントにはほとんど参加できなかった僕は、ワンダーボーイさんとは数回しか会ったことがなかった。ただ、拝見させていただいた数少ないステージから、他のパフォーマーとは異質の何かを感じとっていた。それは、天賦の才としかいいようのない特別なものだった。表現者の多くが、途方もない努力の果てにたどり着ける場所に、軽やかに飛翔していく。そんな印象だった。亡くなられたとき、詩の朗読の世界はとてつもないものを損ねてしまったという、大きな喪失感をおぼえたことを思い出す。
 そんな方の追悼イベントが同じ日にかさなっていては、誰もこちらには来ないだろうと理解した。


 第一回の朗読会のとき、朗読する詩を小冊子にまとめた。作品を小冊子にまとめるというのは、T-theaterの頃から続けていた。ライブの舞台というのは、観客に良い印象を与えやすい。でも、後になって活字の形で冷静に読み返しても、見劣りしないものを朗読しているという気持ちからである。
「在り続けるものへ向けて」の作品をまとめたとき、いつか第一詩集を出すときにそのベースにしたいという気持ちがあった。しかし、2008年に思いがけず第一詩集出版の話が舞い込んだとき、考えが変わる。妻の白糸雅樹と結婚した直後のことであった。妻から言われたのである。
「私も含めて、最初の作品集を出して、後が続かない人が多い。結局、最初の一冊で全部を出しきってしまって、そこから先が見えなくなるのではないかと思う。第二、第三の詩集にどんなふうにつなげていくかを考えながら本をまとめないと、後が続かなくなる。」
「日本はいま戦争をしている」という詩集は、そうしたアドバイスのもとに、ほぼ描き下ろしの作品のみでまとめられた。数篇、それまでに雑誌などで発表していた詩もあったが、大幅に手を入れた。これもまた、一冊の本の中で何を描きたいかという主旨を、自分の中で煮詰めながらまとめていった作品である。
 僕自身は戦後の生まれなのだけれど、僕の家は元々軍人の家系であった。小学校の高学年になってから、子どもの頃に自分の頭を撫でていた親の手が、戦場で敵の生命を奪ったのと同じだということに気が付いた。そんなことを思い出しながら、全体をまとめていった。


 朗読会の作品や、詩集の作品をまとめていくときに、僕がいつも頭に置いている形式がある。それは、僕が中学時代から聴いていたフォーク、ロックのアルバムである。配信で音楽が楽しめるようになった時代には分かりにくい概念かもしれないが、当時「パーフェクト・アルバム」という言葉があった。レコードのA面の一曲目からB面の最後の曲まで、全体の構成を考え抜いて作られたアルバムのことである。一般的にはザ・ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がその嚆矢とされているが、それ以前にもかなりレコード全体の構成を意識した作品が発表されている。
 当然、「サージェント・ペパーズ」以降、音楽の世界ではアルバム全体を一つの表現手段として作成されることが多くなる。
 僕は、一回の舞台や一冊の本を、その全体を通して一つのテーマを考え、構成したものにしたいと考えている。以前、ある詩集を読んでいたとき、同じテーマを扱った似たテイストの作品が連続して収録されていたことがある。同じ話を二度聞かされているような印象を受けてしまった。好みの問題かもしれないが、僕はそうしたことは避けたいのである。
 ちなみに、レコード時代のアルバムには、A面を聴いた後、レコードを裏返してB面を聴くという間の時間を意識して作成されたものもある。A面が抒情的な曲調で終わり、レコードを裏返して見るとアップテンポの曲から始まるといった感じで。
 また、シングル盤のA面とB面の扱いも面白かった。A面にはヒットを狙ったキャッチな曲を収めて、B面(裏面とも呼んだ)にはそのミュージシャンのやりたい曲や遊び心を込めた局を収めるといったこともあった。ザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」のB面は、どんちゃん騒ぎの「ユー・ノウ・マイ・ネーム」であり、「イエスタディ」は元々シングルのB面の曲だった。
 こんな記憶も、詩を描く参考にしたことがある。土曜美術社から「詩と思想詩人集」というのが年に一冊ずつ刊行されているのだけれど、この詩集は一人の作者の作品を上下二段に分けて収録している。あるとき、上段をA面、下段をB面としてそれぞれ詩を描いてみたらどうだろうと思いついた。
 2019年の「ドーナツ盤」というタイトルから始まり、2022年までに「2nd SINGLE」「三枚目」「主題歌と挿入歌」の4作品を描いた。(2023年は、金欠のため不参加)。 ちなみに、4作目は架空の映画の主題歌と挿入歌という設定。一年ブランクが出来たので、来年は「再デビュー」という作品でも描こうと思っている。
 適当な数だけ作品が揃ったら、「デビュー・アルバム」というタイトルで詩集にまとめようと思っていたのだが、レコードそっくりの装丁にしたいなどという無駄な考えが浮かんできて、断念した。どう考えてもやってしまうと金がかかるからである。第一、そういう拘りも、なかなか理解していただけないであろう。
2023年 9月 15日






奥主榮