「T-theaterのこと 第四部 その後の展開(3)」奥主榮

2024年01月22日

三 感動という問題

 1996年の、T-theater結成から、解散前後の単独朗読活動までについて急ぎ足でまとめてきた。
 こうした形で朗読のことについて書くきっかけは、今年(2023年)の初めに、十数年ぶりに岡実から会わないかと誘われたことである。岡実は、学生時代の友人たちとともに水曜会という文学関係の集まりを結成し、その仲間とともに1990年代から詩のフォーラムや現代詩フォーラムに参加していた。当然、T-theaterの公演もリアルタイムで見ている。中村橋の浜焼太郎で待ち合わせて、久しぶりに酒を飲みながら話した。そのとき、もうT-theaterはやらないのかということを聞かれた。
 僕にも野心はある。大きな舞台での、ともに舞台を支えるクルーと生み出す空間に対する昂揚感は、そうした情緒を否定していた僕でも、忘れ難いものである。ただ、僕にはもう舞台を実現するための体力がない。「誰かが引き受けてくれれば、アドバイザー的な立場からの参加は出来ると思うよ」と答えた。ただ、「T-theater reboot project」という言葉は脳裏に浮かんだ。でも、そうしたつては僕にはない。だとしたら、せめて僕が詩の朗読を通して考えてきたことを明文化し、残しておこうかと思った。
 「抒情詩の惑星」の湯原さんに無理を言っての連載開始であった。感謝の念で胸が溢れそうである。

 詩の朗読に関して、今でも僕には課題がある。これまでにも連載の中で、何回か触れてきたことにも関係する。表現が、人の心を動かすという点についてである。以前に僕は、T-theaterの最初の公演のときに、「みんなで力を合わせて何かやったといった達成感に酔い痴れないでください。それは、お金を払った上に、足を運んでくださった方々に失礼です。わざわざいらしていただいた方々に、自分が何を見せたいのかを第一に考えてください。」と参加者に伝えた旨を書いた。
 僕がずっと考えているのは、今であれば「感動ポルノ」という言葉で問題点が可視化できるような、「人の心を動かすこと」に対しての疑義である。
 僕が中学生の頃に読んだ本に、とても印象的なくだりがあった。三上寛の「愛と希望に向かって撃て 反逆の唄」(社会思想社)の一節である。正確な文言は覚えていない。しかし、岡林信康(当時の人気フォーク・シンガー)のように、愛とか希望といった誰でも歌えることを歌いたくないといった内容のものである。確かに、最初から「共感を得られる」ことを約束された内容を描くぐらい恥ずかしいことはない。

 話は脱線するのだけれど、この本の装丁は佐伯俊夫が手がけている。正直、中学生にとっては「ひらく夢などあるじゃなし」(こちらのジャケットも、佐伯俊夫である)を買うのと同じぐらい、レジに持っていくのに覚悟が必要だった。しかし、佐伯は後に、赤川次郎の装丁で一般的な知名度を上げていく。個人的には「痴虫」というシリーズの画集が、とても好きであったが。(金に困ったときに古書店に持って行ったら、高く売れた。)
 ちなみに、村上春樹とのコラボを行った絵本作家、佐々木マキは1960年代後半に、前衛的とされる漫画作品を雑誌「ガロ」誌上に発表していた。
 こうした、ビジュアルな表現をする方々の、メジャーな作家とのコラボに至るまでの経緯についても、いずれ誰かが検証していくはずだと思っている。

 もう一つ、話を脱線させる。
 バブル全盛の頃に、「貧乏」と「貧乏くさい」は別物であると指摘したライターの方がおられた。至言であると思っている。雑誌のコラムに、そうした記事を書かれていた。書き手が誰であったかは、覚えていない。ただ、この微妙な差異の指摘は、とても大切なものだと思っている。
 バブル時代の創作活動に関しては、傍観者としていずれまとめたいと思っている。しかし、それとは別に、「貧乏」と「貧乏くさい」の境界が見えなくなっていた時代であった。
 僕は、バブルの時期も、貧乏だった。(とほほ)
 ただ、僕は思うのだ。貧乏だって良いではないかと。貧乏というのは、心底染み付いた貧しさから逃れられないということだ。収入が少ないことではない。単に生きることに不器用で、上手に世渡りができないというだけのことである。しかし、貧乏くささは異なる。貧乏くささというのは、卑しさやさもしさが伴う生活のことである。どれだけ金のかかった装飾品を身に付けていても、それがこれ見よがしのものにしか見えなければ貧乏くさい。一見質素な身だしなみであろうと、それが似合っていれば貧乏くさくはない。集団で創る作品というのは、それに似た部分があるかもしれない。鳴り物入りで宣伝された「大作」を期待して観に行っても、心に響くものが何もないことがある。力作であることも分かる。著名なスタッフが参加している。しかし、そうした要素が全てマイナスに働いてしまっているのである。身の丈に合わない高級ブランドを自慢げに身に付けている成金のように感じられてしまうのである。(今、頭の中に四十年ぐらい前の映画作品のタイトルがいくつか浮かんでいるのだが、差し支えがあるので具体的な名前は挙げない。)
 ただ、そうした作品が、作家にとってテーマが曖昧なものかというと、必ずしもそうではない。自作について語らせると、メインとなる作家は作品の主旨を語る。しかし、そうした創作意図がどこか空回りしているのである。(ああ、具体的な作品名を挙げたい!)
 当たり障りがあることを承知の上で、一作だけ名前を挙げてしまおう。市川昆監督による、「火の鳥 黎明編」である。原作は手塚治虫、脚本は谷川俊太郎、音楽を深町純が担当しているが、テーマ音楽のみはミシェル・ルグランが手がけている。また、劇中のアニメーション部分の監督演出は、鈴木伸一(藤子F不二雄の作品に登場するラーメン好きの小池さんのモデル)と、豪華極まりない。個々のお名前は割愛するが、出演者も同様である。この映画、手塚原作の「火の鳥」を第一部から順に映画化していくという企画の第一弾として実現したものであるが、結局第二部である「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」までしか撮られることはなかった。第一部への余りの酷評に悩んだ手塚が、第二部の内容を全くのオリジナルといって良いぐらいに改変してしまい、さらにこの第二部も不評であったことから企画が打ち切りとなったのである。また、原作漫画が本来持っていた一貫性は、このときの改変によって大きく妨げられていた。ただ、今の視点から客観的に考えて、第二部は(既に性差についての描写に引っかかる部分はあったとはいえ)第一部よりは優れた劇場用映画作品となっていた。手塚の死後に発表された、未着手の「火の鳥 大地編」のあらすじは、この「火の鳥2772」を戦前の日本とアジアを舞台にしてリメイクした物語となっている。(死後に別作家の手によって描かれた「大地編」の小説は、この点を黙殺して描かれている。)
 市川昆監督の、映画全盛期の作品に触れる機会は少ない。しかし、ある種の「奇想物語」といった様相を示す物語が多い。消費されていくものであるからこそ大衆娯楽に過ぎないと思われていた世界で、これだけ実験的で大胆な表現を行った作家も少ない。うろ覚えなのだけれど、売れない女性ライターが「自分は一か月間失踪するが、その間に自分を見つけた人には賞金を提供する」という企画を、潰れかけの雑誌社と企画するといった映画もあった。これ、今のネット社会に舞台を変えてリメイクしたら、とても面白い作品が出来上がると思う。その他にも、谷崎潤一郎原作の「鍵」の映画化にあたってのシニカルな改変など、異色の才能の発揮ぶりは枚挙にいとまがない。開通したばかりの東海道新幹線の食堂車両を、シュールな空間へと変貌させた作品の題名は、何であったろうか。
 そんな才気あふれる市川昆も、映画産業が徐々に低迷期に入っていく1960年代後半には(あるいは実験的で奔放な表現を行っていたからであろうか)活躍の場を亡くしていく。そうした中で、「股旅」という映画を撮る。この映画は、紛れもない傑作である。義理人情の美学に満たされた侠客の世界を、リアリティに満ちあふれたものとして描いた。「手前、生国と申しやすは……」で、立て板に水のような口上を述べる渡世人ではなく、貧乏百姓の次男坊三男坊(要するに子どもの頃には農作業を手伝わせるが、成人すれば継がせる土地もなく、ただ邪魔な子)として家を追い出されたはみ出し者が、あか抜けない訛りを丸出しにして口にする世界を描いた。この映画の中の、渡世人の三人組、どこまでも淡々と描かれる。(荻窪の映画館で観たときには、フィルムの巻の順番を間違えて上映するという、信じられない事故さえ起きた。映画全盛期の客席数が準備されている会場に、客は僕一人しかおらず、抗議する気にもなれないまま、頭の中で一所懸命に物語を再編集していた。まさか、「俺一人のために、映画を上映し直せ」とも言えまい。)
 ただ、その後市川監督はテレビシリーズとして「木枯らし紋次郎」という作品を大ヒットさせる。これは、作家笹沢佐保の原作と出会い、「股旅」を撮った経験を重ね合わせた経験が反映されているのではないかと、僕は思っている。このとき、監督は音楽担当の小室等さんに対して、「サイモンとガーファンクルが好きだ」という話から始まり、「マカロニ・ウェスタンみたいな曲が良い」という前言と相反する要求を求められ、さらに「(「明日に向かって撃て」の)バート・バカラックみたいな感じも好いな」と口にしたという。ううむ、これはもうほとんど、寄席芸人に対する「三題話」の無茶ぶりのようなものである。(この中で、マカロニ・ウェスタンに関しては、最終回でも触れます。) 一見、支離滅裂な要求なのだけれど、僕が思うに監督の中には「今までにないものを創りたい」という気持ちが満ち溢れていたのではないかな。実際、原作小説そのものが「時代劇の世界にマカロニ・ウェスタンの要素を盛り込んだ」という評価を受けたという話を目にした覚えがある。
 ととと、本題からかなり逸れてしまった。

 作者の意図が空回りする作品についての余談が長くなってしまった。ただ、制作サイドにとっては力作であり、それを受け取る他者にとっては心に響かない作品というものも、世の中には存在する。
 僕は、T-theater時代に、観客の気持ちを誘導するような舞台表現を否定していた。けれど、作品に直に触れたときに、送り手がどのような姿勢で描いていようが、心を動かされる方々がおられる。ときには、「感動とか共感とか安直に口にするな」という思いを抱きながら送り出した作品が、受け手には言いようのない情動を生み出してしまうこともある。作品の送り手である僕には、受け手が流す涙を「それは僕の意図したものではない」と否定する権利はないと考えている。
 何かの作品が、それに触れた方々の心をかき乱す要素。それは、送り手自身がどれだけ孤立しているかにかかっているのではないかと、そんなことを考える。
 何かしら、世間と相容れないものがあるから、自分で作品を描き始める。その中で、剥き出しの自分を晒し、受け入れられていくことを感じる。けれど、それは僕にとっては到達点ではなかった。「そんなものは偽りだ」という気持ちが自分の中にあった。だから、周囲からの評価に甘んじたり、おもねたりしないようにしてきた。
 ときには、周囲の反感をかいながら。

「和を以て尊しとなす」という価値観を、僕は信じていない。違和感や齟齬をこそ言いたてる、ある意味では不審人物でいられたらと思っている。それこそが自分の表現なのだとも。詩の技術を、上手に一般的な体裁にまとめる技術と考えている方も当然おられるが、僕は、表現というものが内在する凶悪な部分を隠蔽していくことが「技術」だと思っている。
 僕は、凶悪な気持ち、それこそ詩という表現手段を手に入れなければ破廉恥漢という性犯罪者になってもおかしくないような人間であった。
 誰かの送り出すものに、一人が触れる動機とは何なのであろうか。まったくの赤の他人の作品なのである。それは、「どこかの誰か」を探すという、嘲笑を受けてもしょうがない行為なのではないだろうか。そんなことを、最近の僕は考えている。頑なに感動や共感を否定する思いと、自分が心を動かすことができず思いを寄せるものと出会えない思いは、相反するものではなかったのではないかと、そんなふうに思っている。

 確固として何ものかを発信したいという意志、発信によって誰かに受け入れられたいという感傷。貧乏と貧乏くささのように、似ているようで非なるものである。

 文字通り、僕の自作の詩を読んで涙を流す方々と出会うことができた。以前の僕であれば、懇々と「感動しないでください」と説得を始めたかもしれない。ただ、僕が揺るぎない思いで発信したものを真摯に受けとめて下さった方々を僕は否定しないでいようと思う。
2023年 10月 13日





奥主榮