晴天の詩学12― 「現代詩とは何かー答える」シーズン2 まさか最終回⁉終わりは突然やってくる」平居謙

2023年09月02日


現代詩とは何か。この問いを巡って2年近く書いて来た。そろそろおしまいにしよう。
そう、終わりは突然やってくる。それが現代詩だ。


このことは前にも少し書いたかも知れないが、朗読会に行けば分かる。みんな生真面目に聞いている。(おれみたいに聞いていない奴もいるが)。ところが最後が分からない。終ったのかどうか、分からない。


舞台に立っている奴は、何度か終わりが分かってもらえなかった経験があるとみえて。詩を読み終えると〈ありがとう〉であるとか〈〇〇という詩でございました〉などとあいさつをする。親切なものだ。それで、あ、終わりだなと分かるシステムである。間抜けである。


しかし考えてみると、それほど無茶な話でもない。落語家も無理やり終わらせるし、恋も冷めたら意味不明のいちゃもんをつけて相手を呆れさせるのは常套手段だ。医者だって、死を宣告したりする。
詩が宣告したって何のいけないことがあるもんか。


するってえと、何かい?といきなり(落語調…)。世の中のものはみんな、終わりがはっきり分からなくてこれで終わり、と言ってもらわなきゃ終わる事さえできねえって具合かね。そう、その通り。だからこの連載でもこうやって〈やあ、今回で終わりだよ〉と宣告しているのだ。え?!まさかの最終回!?


ところが問題は。〈死にましたよ〉と言われてはあ、そうですか!と死に切れるのかということだ。宣告した方はいい気なもんで、宣告したらそれでお終いだが、本人と回りの人々はぽかんとしたもんだ。え?死んじゃったの?って顔で青ざめている。


もしも詩がほんとに力があるなら、死を覆すことができるだろう。死にましたよ、と言われても、例えばこんな風に。いやいや、まだまだだ。宣告するのは勝手だが、宣告通りにいくと思うなよ。宣告を覆し蘇るのが、ほんとうの詩だ。とね。


そんなわけで、宣告しちゃったけど、この連載はまだまだ続くよ!なぜならそれが、現代詩のよく分かんないところだってさ。お後がよろしいようで。





平居謙