腐日記12「愛と哀しみの福島」アレクセイ渡辺

2022年08月17日

みんな、私がそうであるように周りの福島人を見て、これはだめだ、だめな奴らだ。と、自分の駄目さ加減を棚に置いて、私のようになにもしていない口実にしていないか?とか考える。
田舎なんてそんなもんさ。とか言う奴は圧倒的に正しい。
だが、私はそういう正しさが嫌いだ。
福島県人には負け犬根性がこびりついている。と知的な福島県人が言う。それはそうなのだか、間違っている点がある。
負け犬根性ではなく、福島の民は既にむかしっから単に負け犬なのだ。 

え、それって何かに似ていないか?

まるで日本の民衆に似ているね。 

私のような田舎の庶民には難しいことは解りません。
この言葉の裏には自分こそ庶民を代表しているという傲慢さと権力権威への盲従と変化へのあきらめと恐怖がある。
都会だと
興味ないしとか関係ねえし
に変わるのだろうか。

どちらにしても手強い。