連載:これも愛やろ、知らんけど。①愛と執着  河野宏子

2023年12月01日

両親が客商売をしている家で育ったので、見てはいけない大人の事情を人よりもたくさん見て育ったほうかもしれない。生まれつき賢くないわたしだって、見てよくないのはわかった。子どもが無邪気なわけがないと、子ども時分から知っている。

物心ついたばかりの4歳の頃、父と母は喫茶店を営んでいた。常連客の中に、あるお姉さんがいた。ロングヘアで、いつも綺麗にお化粧していて、いい匂いのする、子どもにもわかりやすい美人のお姉さん。そのお姉さんがある日突然、丸刈りになって店に来たことがあった。店全体が凍りついたような空気になったのをよく覚えていて、恐ろしかったのでどういうことなのか母に聞きたかったがその痛々しい様子から、これは聞いてはいけないのだと悟って黙っていた。強烈な記憶だった。数年経ち、両親が喫茶店から運送会社に鞍替えをしてそこそこ会社も安定してきた頃。なんの話の流れだったか、夕飯どきにそのお姉さんの話になった。お姉さんが浮気をしたので、一緒に住んでいた恋人が嫉妬に狂ったあまり髪を刈ってしまったらしい。まだ小学校低学年だったわたしにそんな話をする母の気は今でもしれないけれど、それを聞いたわたしは暴力行為への恐ろしい気持ちと同時にどこかお姉さんを羨ましく思う気持ち、誰かにそこまで嫉妬され執着されることに憧れの気持ちがじわっと滲み出た。そして自分の性根が怖くなって、見ないふりをした。

執着。事物に固執し、とらわれること。と辞書にある。元は仏教用語らしい。わたしは相手を自分の思うようにしたい執拗な気持ち、みたいな意味合いで使う。垂直落下的な恋から広く穏やかな愛への移行を拗らせてしまった結果、先述のお姉さんの件ばかりでなく世間を驚かせるいろんな事件が起こっているし、身近でもある。刺されそうになっただの轢かれそうになっただの。執着。されたことはないけどしたことはある。相手から好きになった場合であっても、最終的に拗らせるのはいつもわたしの方だった。何か生まれつき決まっているみたいに、いつも執着をする側にしかなれなかった。刺したり轢いたりしたことはないが、待ち伏せたり電話をかけまくったり人前で泣いたり喚いたり罵ったり家財道具を壊したりの迷惑行為ならある。流石に大人になってからはそこまでの気力体力と物理的自由がないので犯罪まがいの行為に走ることなく済んでいる、諦めるのにあの頃ほど気力も時間も要らなくなったのだから、歳とっていくのも悪くはない。

愛と執着はハナから別物ではない。元は相手を思う純粋な気持ちだろう。愛は居心地が良いが、どこかの"境界線"を過ぎると腐敗してねばねばしたトリモチみたいな執着に化けて相手を、そして自分自身も抜け出せないほどぐちゃぐちゃに苦しく絡め取ってしまう。なんで。なんでふんわりと温かな愛を穏やかに広げ、たとえ報われなくても適切な距離をとって相手の幸せだけを祈っていられないのか。そしたら世の中こんなに物騒な事件もなく、思い詰める側もなんの得にもならない迷惑行為をせず建設的効率的に生きられるのに。ひょっとしていつか自分のところに戻ってくることだってあるかもしれないのに。愚かだなぁ……と片付けようとしたところにまた本心が頭をもたげてくる、ちゃうねん、やっぱり相手をいま、自分だけのものにしたいねん、でも現実そうはいかんことに気づく(自分の愛では相手を包括できない"境界線"を思い知る)から愚かな行為でもって自由を封じ込めようと足掻くんやんか。……理屈に合わない、未来がないのは百も承知だし、痴話喧嘩のなれの果ての暴力行為を絶対に正当化はしない。わたしも必死でそれを回避して生きてきた。けれど、そんな不毛な、相手の気持ちが遠ざかってしまうばかりで負どころか自爆のスパイラルに突っ込んでいってしまう破滅的な心情は悲しいかな、わかってしまう。わかりたくないのに。なんでいつもいつも、わたしは執着する側なのか。子どもの頃のわたしが髪を刈られたお姉さんに強く憧れたのはきっと、自分がされる側には行けないことをどこかで悟っていたからに違いない。

執着される側とする側を分けるものは一体なんだろう。
多分美しさでもないし、情の深さでもない。おそらくだけど、それは空っぽ具合だ。わたしはずっと空っぽだから、誰かに執着して自分を満たそうとする。例えば才能のある男と寝たところで自分にその才能が宿るわけでもないのに、伽藍堂の胸の内に特別な何かを取り込もうと躍起になって手をつくす。4歳の時にお姉さんの無惨な髪を見て感じていた予感はそういうものだった。人間は貪る。いくら食べたって腹ぺこなのに、もっと欲しいと言って手を伸ばして毟り取ろうとする。40年かかってやっとわかった。わたしが執着される側になれない理由。ぎゅっと目を瞑る。腹ぺこ設定は生まれた時からのデフォルトで逃れることも、外側から得るものでそれを満たすのも無理なことで、仮にいっとき満たされても、味を占めてしまったらもっと強い飢餓感が腹の中で暴れるだけだ。

いつも空腹にキリキリ痛む内面は、誰も描いていない物を詩に留めることでだけほんの少し満たされる。愛で到底覆えない寂しさの断崖絶壁をよじ登って、自分にしか見つけられない詩を言葉で捕まえつづけついに空腹から解放されたとしたら、死ぬまでにちょっとは誰かに執着してもらえる日が来るだろうか。






河野宏子