連載:これも愛やろ、知らんけど ②バウムクーヘン教 河野宏子

2023年12月26日

禿げてしまった。秋のあいだずっと苦しい気持ちで居たのでストレスで一時的に頭髪が薄くなってしまったらしい。生来とても多毛な自分がこんな目に遭ったことにさらにショックを受けている。美容師さんは、また生えてきます大丈夫と言ってくれたけれど。

悲しいことがあるとぬいぐるみを愛でる。抱きしめたり、服を着せたり、生きているかのように写真を撮ったりする。幼児退行以外の何物でもなく、人によっては苦笑いされてしまうことだとは分かっているけど、生きていくためにやむなくわたしは自分の中の幼児を安心させる。

どんな年増になっても、誰の中にも幼児がいると信じている。そう思うと大抵のひとを許せて平和に暮らせる、そして好きな人のことはもっと愛せる。わたしにとっての信仰かもしれない。バウムクーヘンみたいに、ぐるぐる分厚い皮膚を重ねてはいくけれども、生まれ落ちたと同時にあいた中心の空洞付近には3、4歳のやわらかな自分がいて勝手なことを言っているものだ。みんな平素はその子の声が聞こえないふりをしてるだけ。バウムクーヘン教教徒のわたしだって家ではぬいぐるみを愛でていても、人前でやたらと自分のなかの幼児を晒しているわけではない。過去に一度、水木さんの前で泣いてしまったとき以外は。

水木さんは通っていた飲み屋であった人で、水木しげるの漫画に出てきそうなちょっととぼけた風貌だったので、他の常連客や店主から水木さんと呼ばれていた。本名は知らない。帰る方向がいっしょだったから遅い時などたまに送ってくれていて、憎からず思っていた。ある時わたしがひどく荒れた飲み方をしたことがあって(確か家庭のある男のひとに振られたのだった)、お店を出た瞬間に躓いたのを水木さんが抱きとめてくれた。これはいけない、と思った次の瞬間、水木さんがわたしをしみじみと「かわいい」と呟きながらしっかりと抱きしめ直してしまったので、わたしは力が抜けて不覚にも泣いてしまった。道端で声をあげ、鼻水まで垂らして。本来ならおそらく色っぽい展開になりそうなシチュエーションで、わぁわぁ泣いてしまった。自分のバウムクーヘンの空洞を塞がれたせいで、溢れてしまった感じがした。そうだった、わたしは誰かに愛でられたかった。



3つ下で愛想のいい妹がいるせいか、子どもの頃から親に甘えたことがない。お姉ちゃんだからできるでしょ、我慢しなさい、と言われて育ち、たまに可愛がられたくてむずがると「わがまま言わへんの」「そういうこと言うのは意地悪やで」「困った子やで」とたしなめられた。25で親になった両親なので若かったんだしょうがないと理解はできるけど、親になった自分の目線で幼児のわたしがうまく表せずに溜め込んだ寂しさの澱を見つめたら、とても胸が苦しくなる。どこにも出せない感情を、どんなに愛しすぎても自分から逃げていかないぬいぐるみを可愛がって満たしていた。本当は自分の方が抱きしめてもらいたかった。水木さんにはそれが見えていたのかもしれない。わたしには愛してもらう価値がないから、家庭を持っている男のひとの愛情をちょっとだけ盗んで生きていくぐらいが自分には相応だと当時は考えていた。目の前のひとの穴がどこに空いていてどんな具合かがすんなり見える人がこの世にはいるんだと、たばこの匂いがする水木さんの腕で泣きながら知った。それまでに出会った大抵の男のひとは、わたしを怒らせないように気を使ってはくれたけど、どこか腫れ物に触るようなよそよそしさで、だから一緒にいても却って寂しくなった。

どんなにべろべろに酔っても記憶がなくなることは一切ないわたしは翌朝以降その号泣が猛烈に恥ずかしくなり、水木さんに会いたくないあまりにその飲み屋に行くのもやめてしまった。

幼児の自分がぬいぐるみを愛でて守っている空洞のことを考える。質量のない空っぽのくせに悲しさを吸って吐いて動悸する空洞。怪我もしてないのに血が出たり涙でふやけそうになる空洞。どうしてこれを満たしたがるんだろう。わたしだって相手の空洞はうまく見つけてあげられないくせに。キスやセックスは物理的に外側から穴を塞ぐ行為で、それが心の空洞をも塞ぐことがあるのかもしれない。ほんの束の間だけでも繋がって満たし合う行為に、人間は執心してしまう。

分厚く重なった生地がいつか朽ちてしまったら、空洞も消えてしまう。生きてるうちに、愛する人の空洞ぐらいちゃんと見つけて泣かせてあげられる人間になりたい。風の便りで、水木さんは双子の女の子のパパになったらしいと聞いた。娘さんたちはきっと、とてもしあわせに育っているだろう。