何度か会っているとは思うが、記憶に残っているのは二度だけである。
一度は、ミキさんが『詩学』の連載を終了されたとき。連載終了を記念してのイベントだったか、
「東京で『詩学』に関係した詩人を集めてリーディングライブをやります。来ませんか」
と誘われ、当時連載陣のひとりとして名を連ねていたわたしも参加した。そのライブにchoriさんも来られていたのだ。ミキさんが連載なさっていたのが2004年から06年まで。choriさんは05年に「第一回詩学新人賞」で最優秀詩人賞を受賞されていた(クロラさんと二人同時受賞だった)。
...
ようこそ現代ポエムの世界へ( ・෴・)
私誌東京
抒情詩の惑星
専門家や愛好家ではなく、すぐ隣にいる誰かに通じる詩
ことばと人間復興ー
扉絵:りこ
「ちょり君のこと」 馬野ミキ
詩誌「詩学」が設けた最優秀新人賞の第一回に(2005年)
ちょり君とクロラ君が同時受賞した
それはこの界隈では小さなニュースでもあった
クロラ君は2ちゃんねる詩・ポエム板出身の後輩
二人共若いイケメン王子様風でなおかつ名前が「ちょり」とか「クロラ」とかハンドルネーム風というか
自分が「詩学」に連載を持っていた頃、
ちょり君を新宿は思い出横丁の岐阜屋に連れて行ったことがあって大層喜んでいた
そこでちょり君の発行する小さな雑誌のインタビューを受けた
酒を飲みながら。
自分が「ミキ」ではなく「馬野ミキ」と名乗るようになり
一時期、対外的な狙いもあってスーツを着てたことがある
するとちょり君も「僕もスーツ着てきました」とあれはウエノポエトリカンジャム3の打ち上げであっただろうか
そういう可愛げがあった
...
「Chori」 POGE
私がインターネットに触れた2000年前後からchoriの名は知っていた。
なんだかネットの詩の界隈では有名で、ネットの詩の賞を掻っ攫っている若者だという。
裏千家のお坊ちゃんでネット外でも知られているらしい。
詩を読んでみたら、まあ若いわりには書けている方かな、くらいの印象しかなかった。
私は基本的に天邪鬼なので、名のある人間はコケにするし、イジってしまうクセがある。
彼も例外ではなく、いろんなところでおちょくっていた。
詩はヘタでも七光りがあれば評価されるんだねえ、とか、若いだけで持ち上げられてたいへんだ、とか、好き放題言っていた。
あとから聞くと当時10代だった彼はひどく傷ついていたらしい。ごめんなさい。
...
「蓮の夢」 河野宏子
扇風機は枕元で一晩中回っているはずなのに、何かが風を遮る。
薄目をあけると誰かがしゃがみ込んで顔を覗き込んでいて、
半身寝返りを打つと畳の上にひょろりとした足が見える。
蓮の花の刺青で、誰だかすぐにわかった。
また目を閉じる。なんて夢だろう。
追悼・京都の詩人へ 鐘勢
故ちょりと初めて会った日のことはぼんやりながら妙にはっきりと覚えている。あれはいつやったか忘れたけど、どっかの喫茶店?喫茶室?紅茶を飲む感じのスペースで開催された詩のワークショップだった。たしか森下朝子氏もいた。森下氏の「地元の花火大会の話」は、めちゃくちゃ笑えたので、いまだに面白い話かどうかの自分の中の物差しにしてるんやけど、もしかしたらこの日に聞いたのかもしれない。話が逸れたが、そこで初めて同志社の付属の制服姿で参加していた高校生のちょりと出会ったんである。詳細はわからないが、彼には、SPみたいなかっこいい女性が一人ついていて、話しかけにくい雰囲気があり、なんか知らんけどとてつもない大会社の御曹司なんかなあ?とか思ったりした。さて、作品発表の場面で、みんな自作の詩を朗読するんやけど...
「早く帰れよUFO」ヒラノ
UFOって見たことありますか?
僕は幽霊だの地縛霊だの守護霊だの、見たこと無いし、いるのかもしれないけどそういう類の存在とは無縁というか相手にすらされないと思っている
いるのかもしれないけど俺は用事は無いし、あっちだって相手を選ぶだろう
俺は低俗で脳に毒が回っている
幽霊がいたら俺にこう言うはずだ
「いや、あの、君じゃないから…」
高校二年生、オーストラリアへの修学旅行に行かせてもらった
九州への修学旅行組とオーストラリア組とで別れたのだが引率の教員を含め120人程度でオーストラリアに一週間滞在することになった
シドニーだとかキャンベラだとか行くのだが道中、週の真ん中あたりでど田舎の農場に泊まるという日があった
ほんと街灯も何も無い、柵すら見えない広大な農場に一泊する事になった
...
実は、この時代について政治的な視点から語ることは、とても難しいのである。政治的な視点からは、大きな転換期であり、きちんと理解された方が良い価値観のシフト交代が行われた時期でもあったのだ。
加藤泰監督の映画作品に「真田風雲録」という一作がある。僕は若い頃(1980年代)、池袋の文芸坐地下でこの映画を見た。(元々は、昭和の前半にサンカ小説で知られた作家三角寛氏が始めた映画館人生坐がその母体となっている。今の、ビルの一スペースにある映画館という形態になる以前は、文芸坐は独立した映画館であった。地上では洋画、地下では邦画が上映されていた。ほかに、ル・ピリエという小さなステージや、映画関係の書籍を販売する専門書店があったことも併記しておく。)...
詩を書くことは感覚を記録することだと思っている。
書かれている内容を事実か否かと聞かれるときに、いつもそう答える
(あんまり好きな質問ではないけど)。
「ちんこ置き場」 馬野ミキ
畳12畳の
東京23区ギリ片隅のもう24区になりそうなこの部屋に
きみが置いていく
シャンプーやリンス
きれいなルビー色の石鹸や
ほとんどつけなくなったテレビ台の上の
玉虫色の種のじみたヘアピンたちが
領地を拡大するみたいに
少しずつ広がっていく
染み渡るように
侵攻する
どちらがロシア軍か
どちらがウクライナなのか
電気をうす暗くしてから決めよう
俺はきみを支配した後に
降参するから
ユーモアだと解釈して笑ってくれ
「愛するということ」あいこん
朝がくればお互いに違う方向へと歩む
「ねむれない」あいこん
バンッッと恐ろしい破裂音とともに
すべての作品の権利は書いた人にあります。「抒情詩の惑星」2021-2023「The Planet of Lyrics」2021-2023
seo対策テスト 詩 現代詩 抒情詩 抒情詩の惑星 ぽえむ ポエム 芸術としての詩 アウトサイダーアート ポエトリー POETRY 現代ぽえむ 現代ポエム 馬野ミキ 馬野ミキ責任編集