【企画】もり選 抒情詩の惑星 BEST Poet

2022年02月28日

もり選 抒情詩の惑星 ベストイレブン (2021.9.22〜2022.2.3) 

「みなさん最高でした。
そのなかでも特に・・・」

そう前置きする自分をぶん殴りたくなるときがときどき、あります。今、そうでした。

昔、「ある人のことを知りたいとき、その人が何をつぶやいているのかより、その人のいいね欄を見た方がよくわかる」とツイッター民に言われて、
まぢか、となったことがあります。
イイネで輪郭を埋めていくってことですかね。
だとするとこの先の文章は、ぼくの輪郭になるのかもしれません。ちがうか。

2021年9月のサイト開設以来、書き手としても参加させていただいていますが、そのほとんどの時間を、いち読者として過ごしている
「抒情詩の惑星」
そこから11作品、選ばせていただきました。

ネタバレにならないよう、本文の引用は極力避けています。
そもそもおまえ誰やねん、と思った方は、プロフィールをお読みいただければと思います。 


〈※ 時系列順です〉 

「趣味の盗聴」 公社流体力学 (2021.9.23)
まずタイトルに惹かれました。
「盗聴」その前に「趣味の」
え、趣味の??
冒頭にはエッセイとある。
今やYouTubeにも、他人の咀嚼音をひたすら聴いたりする「ASMR」というジャンルがあるくらいだから、趣味の盗聴もありえるのか。その展開を早足で追ってしまう。笑えるけど、実は笑いじゃ済まされない感。
「本気か冗談かわからない、ギリギリのところで生きている」つまりは、変態。ほとんどすべての人間について言及されていると感じた。 


「大学生の時に中学生とデートした話」大覚アキラ (2021.9.28)
ひとつのショートムービーを観るかのように、浮かぶ光景。
ぼくも10才くらいまではレンタルビデオ店に行ってビデオを借りていた世代ということもあり、当時の空気感を思い出しました。
最近、久しぶりにゲオに行ったら無人レジしかなくて、店員さんもほとんどいないんですよね。現代のキミコちゃんは、いったい誰におすすめの映画を聞くんでしょうか。 


「インターネットだけみれば全部分かるようには絶対にしません」 渋澤怜 (2021.11.15)
具体的な固有名詞を用いない文章は、色褪せることがなく、長く読まれるのかもしれない。
ツイート、SNS、インフルエンサー、インスタetc...
渋澤怜さんのこの作品のなかには、ゴリゴリと具体的な固有名詞が出てくるのだが、だからこそ今、現代を生きている自分にはその色がくっきりと、迫ってくる。
「ピ、ピ、ピ、プー ひい、ひい、ふー」の部分が、よい間(ま)をつくり、読み手にとっての橋のような役割を果たしている。 


「英語で言うとね」 中川ヒロシ (2021.11.16)
部屋で一人で読んでいるのに、これ笑っていいのか、どうなんだ、となり、
結局けっこう笑ってしまいました。
登場人物一人ひとりの台詞が何かこわくてオモシロイ。
最後の展開で、うわあーまじかあ・・・となりました。しかしこういうケースあるんでしょうねえ。。


テレビなし/全体性 新納新之助 (2021.11.22)
「テレビのなかにはテレビのなかのほんとがあって〜」この一文からの展開に、自分は思い出したのか、初めて知ったのか、何やらびっくりしました。
新納さんが使う句読点は、読み手の足を引っかけるためにあるのではなく、新納さんが意図して配置している石のようで、それをピョンと跳ねるときに生まれる文章のリズム、ジャンベを叩くようなそれが、全体を通して心地よかったです。 


「軽々しく詩人と名乗らない」猫道(猫道一家)  (2021.12.2)
詩人を自称する友人だらけだが、自らは詩人と名乗らない、そんな猫道さんが詩集からではなく、「朗読を通して感じた詩の話」は非常に興味深かった。猫道さんが生で初めて詩の朗読に触れたときのエピソード、鮮烈さは、自分が詩の朗読を初体験したときのそれを思い出し、ワキから汗が出た。
「詩」や「詩の朗読」というものに少し興味があるものの、どうしたらいいか迷っている人には、迷わずこの猫道さんの文章をおすすめしたい。 


「駐キリン場」(ちゅうきりんじょう) コナン (2021.12.17)
シンパシーではなくワンダー。ぶっ飛んでいるけど、読んでいて置いてけぼりにされている感じがない。なんだろう。
逆・マトリョーシカのような。一行一行、開けるたびちょっとずつ大きくなっていく。
何かの壮大な比喩なのかもしれない・・・とも思ったが、それ以上進むことはちがう気がしたのでやめた。


「脚売りのタコ」大島健夫 (2021.12.21)
読んだときの自らの精神状態も相まってズン、ときた。全体的に仄暗い物語と「タコメラ」というワードが持つかすかな光との対比。
読み終わって、すぐさまもう一度 声に出して朗読している自分がいた。 


「サンタさんへ」稀月真皓 (2021.12.25)
なぜよいと思ったのか、「よい」とは。
「よいこ」って何だ。
それを言語化できませんでしたが、選ばせてもらいました。感想を育みたい詩。 


「そのかけがえのなさに名前はつかないまま」石渡紀美 (2022.1.15)
ときどき突き放されているようで、ときどき内側のなにかをくっ、と抱きしめられているような、
読んだあとの名前のない不思議な感覚。 


「接吻/分離」ヒラノ (2022.1.22)
ヒラノさんの文章からは、分離された美術と芸術とをつなごうとする意志を感じます。
いや、そもそものつながりに気づかせるように、強風の中で砂を払うような。
美術館には両手で数えられるくらいしか行ったことがないので、純粋に学ぶものが多い。
行間。からの詩(詩と感じました)、響きました。 


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以上、11作品、紹介させていただきました。最近は (というか最近しか知らないけれど)
「何がそこに書かれているか」
ということよりも
「誰が書いているか」
ということに重きが置かれている時代なのかなあ、とはつねづね感じます。
ぼく自身もやはり、誰が書いているか、といったことに気を取られがちで、
そのバックボーンを多少なりとも知っているからこそ、増強されている「イイネ」もあるはずです。
今回、選ばせてもらいましたが、その大半の書き手の方とはお会いしたことがあったり、何かしらの交流があります。

ただ、今回の11作品は、おそらく自分が全く書き手のことを知らなくても、響くものがあった作品だと思います。


「誰が書いているか?」

そこに影響を受けないことに、たまに憧れます。だからこそ、まっさらなまま、この「抒情詩の惑星」に偶然たどり着いた読み手の人には、そのまま、まっさらなままでまずは読んでほしいです。まっさらタイムは貴重な時間です。

詩のいいところは、何日か何ヶ月か何年かした後で突然、理解できたり、響いたりすることがあることだと思います(これは詩に限らずかもしれませんが)。だから、たとえ今わからなくても、ピンとこなくても、いいんだと思います。
詩の賞味期限は長いです。
書き手はそこに逃げたらダサいですが。

今、この瞬間、苦しくてうずくまってる人にとって、何らかの救いになる一行が
今、この瞬間ここにあるに越したことはありません。

バラバラで、とっ散らかっていて、全体的であることを、いち読者としては抒情詩の惑星に望みますし、
そのために書き手としても、まず自分自身を救済しながら
やっていきたい。

馴れ合いぽいので、
みんな最高だぜ!!とは言いませんが、
一人ひとりの書き手が、それぞれのそれぞれを抱えながら、バトンかタスキか遺言を渡すみたいに、掻いて書いて描いていることに、敬意を表したいです。

このたびは書かせていただき
ありがとうございました。




もり