「軽々しく詩人と名乗らない」猫道(猫道一家)

2021年12月02日

「軽々しく詩人と名乗らない」

1.長い前置き

詩人の馬野ミキさんからメッセージが来て、『詩とは何か』というテーマで文章を書いて欲しいと依頼されるというのは、自分が考えつく中でもベスト5に入るくらい躊躇する避けたい事態だ。でも、書くことにした。理由は多少は無理をしたほうが生きていて楽しいから。あと、自分でも詩とは何か知りたいから。

そもそも何故ミキさんから詩についての依頼を受けるのに二の足を踏むかというと、詩に明るくないからだ。キングカズこと三浦知良選手から「君なりのサッカーとは何か教えて欲しい」と言われるようなもので、プレッシャーがかかる。そのくらい自分から見てミキさんは詩の中枢にいる人物というイメージがある。

自分は猫道という名前で20年ほどパフォーマンスをやっていて、直近13年は1人で舞台に上がって、音楽を流して喋ったり歌ったりしている。朗読とも歌ともラップともとれないから「スポークンワーズ」とか適当に名乗っているが、何の専門家でもなく、自分の専門家だ。

そんな自分だが、活動を始めたばかりの頃は詩の朗読のオープンマイクに参加することも多く、友人に詩人が多い。以前バイト先で「○○さんは旦那さんも詩人で」と話していたら店長が「旦那さんも詩人... ロマサガかなんかかよ...」と驚いていた。友人が詩人だらけというのはもしかすると珍しいことなのかもしれない。

そして、あろうことか自分もライブ活動を続けるうちに「詩人の猫道さんです」とか紹介されることも増えてきた。詩人と名乗ったことはないのに一部の人達からは詩人に見えるらしい。猫道を詩人と思っている人達には2種類いて、まずはミュージシャンだ。彼らは「生楽器の演奏をやらずにマイクで自作の言葉を喋っている人=詩人」と思っている。もう1種類は美術家や俳優だ。彼らの言う「詩人」には「自分達とは違うスタイルでよくわからないが面白そうなことをやっている人」というニュアンスを感じる。後者には微かにリスペクトがあるような気がする。いちいち訂正するのが面倒な場合は「詩人の猫道さん」でいいやと思って流すことも多い。

しかし、詩人達と一緒の現場では別だ。進んで詩人を名乗ったことは一度もなく、明確に線引きしている。それは自分が「詩」をどんなものと捉えているかに起因すると思う。ざっくり言うと「詩」は自分にとってそんなに簡単なものではないし、そもそも志すもの(意識して作ろうとするもの)ではないのではないかと考えているからだ。

自分の友人は詩人だらけだが、自分の家には詩誌がない。『現代詩手帖』も『詩と思想』も購入したことがない。詩集は何冊か持っているが読んだことがない。厳密に言えば黙読用には買わない。友人が朗読していてよかった作品を自分でも朗読するために買っている。だから、持っている詩集は文学賞とは無縁の直接顔を見たことがある人が手売りしていたものが多い。そんなわけで、自分がこれから書く詩の話は、朗読を通して感じた「詩」の話だ。「詩」とは何か?ライブ活動を通してなんとなく感じてきたことはあるもののはっきりしない。だから、言葉にしてみたい。(書きながら考えていくのでちょっと長くなります。)

2.詩の朗読との出会い・別れ・再会

自分が詩の朗読らしきものに初めて生で触れたのは2007年のこと。奇しくも馬野ミキさん主催のオープンマイクだった。当時の自分はまだ現在のようなソロのライブ活動をしていない時期で、人を集めては演劇の脚本を書いて上演していた。ある日、高円寺のライブスペース 無力無善寺のwebサイトを見ていて『はみだしっ子たちの朗読会』というフレーズがなんとなく気になり、足を運んだのだった。「エントリーをすれば誰でも5分間マイクの前でパフォーマンスができるらしい。いっちょやってみるか。」という興味本位で参加した。

その日のパフォーマンスは自分の中でかなり上手くいったほうで、高円寺の高架下に深夜だけ開店する死んだ人ばかりが集まるレコード屋の話を書いてリズムトラックを流しながら朗読した。そんなことをするのは初めてだったし、そもそも当時の自分は一人ではステージに立たなかった。その日だって仲間を3人も連れて行ったし、いつも誰かと一緒にいた。だからか、通常は数ヶ月は準備をして劇場で上演していた自分の作品世界が「仕事帰りに」「5分で」「一人で」表現できることが新鮮だったし、面白いと思った。

しかし、そういった手応えとは別にその夜は謎の敗北感というかショックを受け、一緒にエントリーした友人もその後具合が悪くなったりした。理由は他のエントリー者のパフォーマンスがこれまで見聞きしたことがないもので、強烈だったからだ。何というか「この場では自分が用意してきたものは通用しない」と思った。好き嫌いや上手い下手を超越したところで他のパフォーマンスにはパンチがあった。素手で直接顔をガシッと掴まれるような、服の中に手を突っ込まれて背中を触られるような感じ。今でも覚えているのが、スペインで船を作っていたという男性が泥酔しながら「ワインの量が一日3本を超えるとアル中の才能がある...」とつらつらと語っていたこと。宇宙語を話すという女性は奇声を発しながら身体にボールペンで何か描いていた。そこには脚本も演出もないように見えた。思うに自分にとっての「詩」に対するイメージは、その日の体験をベースに作られている。だいぶ偏っているように見えるが、自分は今でもあれは「詩」だったと思っている。14年経っても覚えているような鮮烈なもの。それが自分にとっての「詩」のイメージだ。

しかし、その後 劇団の活動を停止し、ソロになってライブ活動を始めてから改めてポエトリーリーディングの現場に足を運んだところ、前述の『はみ出しっ子たちの朗読会』とは違った雰囲気を感じた。とても落ち着いていて、書いてきたテキストを静かに朗読する人がほとんどだった。良くも悪くも本当に「紙に印刷された字を追って読んでいる」という印象。一括りにはできないが集まっている人たちは皆 比較的優しく、心身に何かしらの疾患がある人が多かったと思う。2008年から2011年くらいまで自分はそういった現場に定期的に通って友達ができ、やがて少しずつ離れていった。理由はいくつかあって、一番はやはり自分にとって刺激が少なかったからだと思う。自分が好きな「ショウアップされた舞台を稽古して作る」ということには皆消極的で、ライブパフォーマーになりたいわけではなさそうだった。平日は働きながら地道に言葉を書き溜め、それを冊子にして丁寧に販売・頒布するという活動は、やはり自分がやりたいこととは全く違うと感じた。2012年頃からの自分はバンド・弾き語り・ダンス・ライブペイント・ラップなど詩の朗読以外の表現手段を持つ人間との結びつきを強めていき、主催するイベントには徐々に詩人をブッキングしなくなっていった。通っていたイベントの様子を見て「こういったものが詩であるなら、あまり魅力を感じないな」と当時は思ったのだと思う。

このままいけば自分は詩に興味を失い、この話はこれでおしまいとなるところだ。でも、自分は2021年末の現在に至っても何故か詩の朗読をする人たちの周辺にいる。それは、2015年から「スラム」と呼ばれる詩の朗読競技会の司会をやるようになったことが大きい。婚礼司会者の事務所に所属し、司会業をやっている自分は、ポエトリーリーディングに縁があることから司会を頼まれるようになったのだ。そこから7年も朗読競技の司会を続けているのは、単純に面白いから。その面白さとは何か。何故スラムに関わるようになってから再び詩に接近したのかを考えてみたい。それを整理することは、きっと自分が考える「詩」の魅力を明らかにすることになると思うのだ。

3.スラムにおける詩のテンション

朗読の競技会である「スラム」の司会者になる前、自身のスラム経験を書いておくと、ソロで活動していくことに決めた最初の一歩はスラム出場だった。2008年、新宿歌舞伎町のライブハウスMARZで毎月行われていた『SHINJUKU SPOKEN WORDS SLAM』(以降SSWSと表記する)に出場し、2年半くらい選手をしていた。そこは詩の現場ではなかったけれど、詩人を自称する人達も多く出ていた。エントリーしたきっかけは実は『はみだしっ子たちの朗読会』だ。渡された手書きの紙に主催者がSSWSでグランドチャンピオンになったことが書かれていたのだった。SSWSは詩の現場とは銘打っていなかったけれど、そこで体感したパフォーマンスの方がポエトリーイベントで体感したものよりも自分にとっては「詩」で、つまり最初の体験と似ていた。刺激的だった。

SSWSでは3度優勝しているが、一回戦負けも2度経験した。いろんな出会いがあった。ある男性は「交通事故に遭って障害を負った!」とうまく回らない口で叫んでいた。口が回らないことがその障害と関係あるのかはわからなかったが妙な説得力があった。ある青年は「暗闇が欲しいんだ!」と叫ぶ。別の青年は「ちぎれて死にてーとか言うけど、生き残る度に記念日が増えるよ。」と言った。どれも巧みな比喩や豊富な語彙とは無縁のカジュアルな言葉だったが、説得された。深夜の地下ライブハウスでオーディエンスの人数もパフォーマンス時間も限られている中で発された無名の人たちの言葉。なかには切迫しているものも多く、それをグイグイ前面に出す人もいれば、ユーモラスに語る人もいた。勝敗がつく競技であるということや、勝ち進めば賞金がもらえてもっとパフォーマンスができるということが出場者のテンションを引き上げていたと思う。そう考えると、自分にとっての「詩」とは切迫していたり切実であったりするものなのかもしれない。

そういえば、スラムとは別の朗読の野外フェスで、タイムテーブルが大幅に押している中、終演予定時間ギリギリになって数十秒だけステージに立った詩人が妻への愛を語って「たまにはセックスしよう。」という言葉でフェスを締めたこともよく覚えている。その一言に会場は沸いた。多分それも切実で実直であったからだと思う。そのケースは時間が押しているという状況だったが、予期せぬ何かしらの制限や縛りがある中、舞台上でポロッと溢れ出る言葉には説得力がある。惹かれる。それはたとえ用意してあったとしてもその日その時でなければどんな吐露になるかわからないし、瞬間芸術だ。自分にとっての「詩」とはそういった特別なテンションのものかもしれない。(さらに極端な別の例を挙げると、刑務所の開放日に見学に行って目にした受刑者達の俳句・短歌は全て「詩」だった。制限や縛りを経て反射的に生まれた純粋な吐露だった。)

スラムは競技であるが故に制限や縛りや緊張感が自然に生まれる。だからこそ自分には「詩」(の朗読)がグッと魅力的に迫ってくる瞬間があるのだろう。スラムの司会をしていて強く印象に残っていることがある。ある詩人が朗読をする際にずっと原稿を持つ手が震えており、あまりにも小刻みに揺れるので原稿の紙が微かに音を立てているほどだった。朗読が終わってステージを去る時、その詩人は一言「今日は風が強いね。」と言った。室内なのに。その一瞬のユーモアなんだか照れ隠しなんだか負け惜しみなんだかわからない一言に会場は持っていかれた。自分の中では朗読した詩の内容以上にその言葉が「詩」だと感じた。もっと突っ込んで言ってしまえば、自分の中の「詩」とは「身体」のことなのかもしれない。「今日は風が強いね。」の前に震えていたその手から「詩」だったのかなと思っている。

4.軽々しく詩人と名乗らない

ここまで書いてやっと「詩」とは何かを言葉にできそうだ。詩人を自称する友人だらけの非詩人の自分。付かず離れず13年くらい詩の朗読に関わってきた中で考えた自分にとっての「詩」とは、緊張や非日常のテンションから反射的に生まれた身体性の高い言葉です(いや、必ずしも言葉である必要もないかもしれないが)。緊張や非日常のテンションと言っても追い込まれるような悪いものばかりではなく、スポーツ選手が競技に優勝してギリギリの疲労感と多幸感で発した一言が何年も残るように、プラスのものもあると思う。とにかく、そういった「身体が置かれた状況によるテンションの上下」が感じられた時、朗読をする人は特に輝く気がする。その瞬間を自分は「詩」と呼びたい。

スラムに出場し始めた当時、ゲストライブで来ていた馬野ミキさんに言われた言葉「詩って家で何度も練習してくるものなのかな」。スラムの審査員だった詩人 小倉拓也くんが言っていた言葉「用意してきたものをただやっても意味がない」。それらを10年以上経った今 反芻する。彼らの価値観が伝染した部分も大きいと思うが、言葉のライブを演り続けて、言葉のライブを観続けて、一番実感したのはそれだ。かといって即興で泣き叫べばそれでよいかというとそうではない。用意してきたものが本人も予想していなかったような響き方をする瞬間があるのだ。だから、台本通り進まない。準備し尽くしても結果はわからない。「詩」は狙えない。

自分は詩人を自称しないが、さっき自分なりに定義した「詩」をやっている時もあったと思う。今でもその瞬間はあると思う。だからといっていつでもできるわけではない。軽々しく詩人と名乗りなさいという人もいるが、自分にとってはとんでもないことだ。詩人とは奇跡を起こす人のことだと思う。「詩」はどこにでもある。でも、待ち合わせて会うことはできないのではないか。邂逅する。思いがけず鉢合わせる。出てきちゃう。体から滲んでくる目に見えない透明なもの。自分は詩人にはなれないし、それほどなりたいとも思わないけど、やはり少し憧れがある。それは詩の朗読の現場で奇跡が起きたところを何度かこの目で見ていて、それに強く揺さぶられるからだ。






猫道 (猫道一家)