「設定かよ」渋澤怜
設定かよ、と思うことがある。
たとえば、蚊とか。
「人間の血を吸いに来る虫」、とか、設定かよ。って。
「人間の生き血を吸い」「痒みを残して去る『蚊』という虫が」「夏にのみ発生する」「なお、血を吸うのはメスのみである」とか。設定かよ、って思う。
この「設定かよ」というのが一体何を指すのかと自分に問うてみると、どうやら、「SFとかRPGゲームのような、誰かが考えた世界においてオリジナリティある世界観を演出するためにチョイ足しされた「設定かよ」」、ということのようだ。
あるいは平たく言うと「中2の妄想かよ」でも良い。
よくSFとかRPGゲームだと「月が2つある世界」とか「月が赤い世界」とかが、「設定」されがちだけど、そもそも本物の我々の世界に朝と夜があることも、季節があることも、不思議といえば不思議だ。
しかし天文系の設定は、「設定」の初級である気がする。
だから私は、もっと意外性のあるところから探したい。
ちなみに日常で蚊以外に「設定かよ」って思うことは、献血車。
人間の血が交換可能で、弱った人のために健康な人が少しずつ血を分け合う......設定かよ。
でも臓器売買まで行っちゃうといかにも「設定」という感じがして、逆に何も思わない。
あと、人体改造系もSFやRPGの定番であるから、そこはちょっと避けたい。もっと上級者な「設定かよ」を探したい。
思いついた。こういうのはどうだろうか。
「人間はバカなので光を見るだけではしゃぐ。花火、夜景観賞、イルミネーションなどにわざわざ金を払い遠方から集まり不快な混雑のなか光を見物するのである」
「人間はバカなので水が沢山集められている場所にいくだけではしゃぐ。水が集められた巨大な場所、すなわち、プール、温泉、海水浴場には、わざわざ金を払い遠方から集まり不快な混雑の中ではしゃぐ。しかし無料で浴びられる水――雨を浴びることは極度に嫌う」
花火、海、プール......夏の風物詩を全否定である。
ちなみに私は雨に濡れることはそこまで嫌いではなく、帰宅即風呂出来るという確約がある場合は大雨の中チャリで爆走してずぶ濡れになって帰宅するのがむしろ好きである。濁流ができつつある道路を自転車のタイヤで押し分けつつ進む感じ、自分の上下左右に常に縦に流れ落ちる水があって普段空気があるだけで何も感じない場所に若干の抵抗を感じつつまるで無数ののれんをくぐりながら進む感じ、これは流れるプール的楽しさがあると思っている。
さらに言うと私は風呂は嫌いで、普段はシャワーしか使わない。流れている水が好きなのかもしれない。流れないプールと海も嫌いだ。
ここまで読んで賢い方は気付いたかもしれないが、この「設定かよ」視点を持つことは、生きる上で大変役に立つ。
「設定かよ」視点をもつことは、すなわち今生きる日常を外部から見る視点をもつことになるから、辛い時も、「辛い自分」を客観視してクールに乗り切ることができるのだ。
蚊にさされて痒い時も、「としまえん行かない?」と誘われたけど4000円の入園料が金欠の財布には手痛すぎて泣く泣く断る時も。
「ほほう、この世界では、大量の水に浸かるためだけに4000円も払う『設定』なのか......」である。
さながら、初めてやるPRGゲームをプレイするように、あるいは地球に観光に来た宇宙人のように。
炎天下の夏の日、バイト先にやっとたどりつき、「あっちーな、全然冷えてないじゃん」と思ってエアコンの操作板に向かうと、ディスプレイには「自動操縦」の表示と共に
「地球温暖化防止のため、当ビルでは館内の空調温度を全て28℃に"設定"しております」
設定かよ。