「T-theaterのこと 第一部 T-theater結成まで(3)」奥主榮

2023年04月03日

三 前夜

 T-theaterの最初の公演は、1996年の12月に行われている。参加者は、大村浩一の他、詩のフォーラムのオフ会やチャットで知り合った方々から集まった。ただ、実は僕はこの経緯を詳しく覚えていない。最初は大村と、「娯楽性のある詩の朗読の舞台をやりたい」といった話をしていて、「そのためには美術や照明、音響を含めて、舞台全体の流れを統合する何かを考えなければ」といった話になったのだと思う。初期の参加メンバーの中には、後に「詩のフォーラム」に対して新たに「現代詩フォーラム」を立ち上げる片野晃司もいた。片野は当時、糞真面目な詩に反発してコミックポエム(CP)というジャンルを提唱していて、僕はそれが面白いと思って誘った。

 子供が遊びに行くときのような無邪気さというか、馬鹿丸出しというかの「一緒にやろうか」という呼び掛けに応えてくれた方々の中には、実はとても畏れ多い肩書きの方々がおられたことを、当時の僕は知らなかった。肩書きだけではなく、表現活動の場数もあり、とてつもないスキルを持った方々もまたおられた。当時は夢中になっていて自覚がなかったが、そうした方々に参加していただけたことの僥倖を、僕はけして十分に活かしきれなかった。無償で提供された労力を自分のぼんくらさで無為にしたことを、僕は今でも申し訳ないと思っている。

 参加してくださる方々を探す中で、僕は次のような形の「朗読を中心とした舞台集団」を構想していた。

 「詩人という、個々に主張が強い方々の作品を朗読する舞台である。それぞれの作品は、一回の舞台で対等に扱われる。だとしたら、朗読される詩やその作者だけが注目されるのではなく、参加された誰もが尊重される舞台集団にしたい」という気持ちがあったからなのである。そうして、こんなことを考えた。

 「僕がT-theaterで提供するのは、盛り皿のような場所だ。力量やスキルに差があってもかまわない。それでも、作品を提供していただく方々の全てを平等に扱えるように、公演ごとにあらゆる作品群を盛り付ける皿のようなテーマを明示し、全体像を構築する。」

 この発想で、舞台をつくり上げられたらと考えた。

 ある意味、大の大人のやらかす、みっともない学芸会みたいな側面もあったと思う。もう三十代半ばであった。でも、僕はそうした無謀な行為に挑戦してみたかった。

 舞台というものを、そもそも僕は知らなかった。なので、マネージメント的なことは、全くできなかった。ただ、「こういうことがしたいのです」というだけで、突っ走っていた。具体的に最初の公演が決まった後で、音響担当の方から「ME.はどうしますか?」と質問され、慌てて意味を尋ねかえした。そのぐらい、僕は舞台表現について素人でしか無かった。映画が好きで、若い頃からシナリオを読むことがあったので、SE.(効果音)という言葉は知っていたが、ME.という言葉は知らなかった。(SE.が風の音などをリアルに再現するのに対して、MEはミュージックエフェクトの略で、現実にはないが雰囲気を出す音。例えば昔のテレビ漫画で誰かが殴られるシーンにポヨヨンといった音をかぶせといった感じである。詩の朗読の舞台では、詩の内容につき過ぎたSE.を入れるよりは、あくまでの言葉のイメージを音にするME.の方が効果的なことがある。)

 そうした、僕自身も試行錯誤の中でのT-theaterのスタートであった。(というか、かなり無謀で、止めた方が良い企画であったと、今の時代の人には受けとめられるかも。)

 T-theaterの最初の公演は、「地球人記録」というタイトルにした。僕の独断である。かつて三島由紀夫に「なりそこないの吟遊詩人」と罵倒されたアメリカのSF作家にレイ・ブラッドベリィがいた。その代表作である「火星年代記」が初訳のときには「火星人記録」と邦題を付されたことを踏まえている。

 朗読される全ての詩を、「遠い昔に滅びた恒星系の第三惑星」において、その滅亡後に訪れた異星人が見つけ出したアーカイブの再現として扱ったのである。(この発想の根底には、藤子F先生の「サンプルAとB」という短編作品も影響しているかもしれない。) ただ、僕がかなり明確に書いた(予め録音されたナレーション部分)は、僕も含めたスタッフの意向によって、極めて聞き取りにくい形に編集された。耳を凝らして集中して聴いてくださった方々だけに通じれば良いという、今では傲慢に思える考え方に囚われていた。

 作品の方向性を明示することの有無という点について、それ以来考え続けている。この設定を「見えやすいもの」にすれば、一般受けする内容になったであろう。けれど、本来は盛り皿に過ぎない舞台全体の構成が、各作品を支配してしまうこととなる。一方、設定をわかりにくくすることで、舞台設定による個々の作品への影響力は弱まる。正解はどこにもない。

 僕自身のそうした葛藤へと、いつしか意識せずに巻き込まれて始まった企画でもあった。
2023年 3月 20日





奥主榮