「2024年9月29日朗読会 事後報告」奥主榮
9月29日に開催された僕の朗読会。事前にあれこれを書いていたので、事後報告もきちんとさせていただきます。
奥主榮、郡谷奈穂の共同企画、「65×25 Starting point(はじまりは)」。会場は、'00年代から僕が朗読会をしてきた、阿佐ヶ谷のブック・カフェよるのひるね(夜の午睡)でした。以前には、「ゲスト」という名称で他の方とご一緒の朗読ライブをしていたのですが、最近になっていろいろ思うことがあって、「共同企画」としました。今風の言葉では、「コラボ企画」となるのでしょう。年長の人間が、若い方とご一緒させていただくライブを行う気持ちを述べることは、なんだか自己満足的な言辞の羅列になりそうなので、割愛させていただきます。
企画発案から三カ月強、僕は多くのことを学ばせていただきました。
「表現」に魅せられた女性が、地元の大学卒業後、単身で上京し、演劇に関わろうとする。一般的には、「道を誤った」としか言えない背景。そんな、おかしなヤツに興味を抱いてしまい、自分の企画に誘ってしまった老人。
インターネット以前の、パソコン通信の時代から電子媒体を使っていた僕。ただ、あれこれの「常識」にはついていけていない。共同企画の相手が、どんな方かも良く知らなかった。本番一か月前になってから、郡谷の名前で検索しておこうと思った。時代に取り残されている僕。しかし、そうすると、彼女の過去の舞台がきちんと記録されている。僕が思ったのは、「この方は、きちんと自分の描きたいものを残せる方なのだ」という思いであった。
断続的な記録は、文字通り彼女が必死に現実に対して爪をたてながら積み重ねてきた体験の数々だった。陽気で元気が良く、前向きにいろいろなことに取り組んでいく、孫娘と言ってもおかしくない方が、表現者としては傑出していていることに、すぐに気がつかされた。何かを問いかけると、期待していたものの数倍のリアクションをいただけるのである。
僕との共同企画が終わった後で、改めて感じているのは、郡谷奈穂は、僕などには届かない大きな世界に羽ばたいていく可能性を持った方なのだなということ。
郡谷は、創作者の一人として、当然野心家でありながら、謙虚な心を失わない存在。関わる方々に愛されるたおやかさを持ちながら、真摯に目の前のことに向かい合う心。そして、とんでもないドジッ娘ぶり。(けして、バカにしている訳ではない。結構頓狂な方なのである。詳細は、個々にあげつらわないが、僕個人としては、そうした姿はとても可愛いと受け止めている。)
「あんまり打ち合わせをし過ぎて、観客の心が入り込む隙がない舞台なんてしたくないね」と、あえて打ち合わせの回数は減らした。というか、三回ぐらいしか合わせていなかったのではないかと思う。昔、ある映画で監督がとても力を入れていて、宣伝も話題満載で、でも「意気込み過ぎて、観ている僕は入り込めない」という感想しかだけなかったことがある。
僕は、郡谷との打ち合わせは、三回ぐらいしかしていない。それも、蕎麦屋とか公民館のロビーとかである。なんだか、そういう場所でもきちんと話はできるでしょ、みたいな郡谷の振る舞いは、とても僕には心地よかった。
その結果、本番での郡谷は、とても素晴らしかった。意図せずに観客の心を動かす、そんな姿をみせていた。僕と郡谷の、戦争に対するアプローチは、似ていた。それぞれの生きてきた年月には差があったが、戦争を見つめる目の高さが似ていた。
当日、会場でも口にしたのだが、戦争を偉そうに高みから語りたくない。惨禍に巻き込まれている個々人の視点から、手ざわりとして描きたい。
そうした気持ちの中で、それでも僕は、おいでいただいた方々に、何かしらの希望を伝えたかった。どれだけ絶望的な時代の中であろうと、苛酷な状況を生き延びていく知恵はあるのだと語りたかった。
僕は、したり顔で「今の社会は悪いねェ」と発言する輩が、とても苦手なのである。周囲の気力を奪うような絶望を語ることに、どんな意味があるのであろう。もしも社会情勢が悪いというのであれば、そうした中で生きていく術を語り続けていくべきなのではなかろうか?
そうした意識の中で、僕は自分自身が、自分の良心に蓋をしてしまった体験を口にした。とても恥ずかしい体験である。しかし、そうした自分の過ちを語ることで、いらしていただいた方々に何かを考えてほしかった。
僕は、自分の表現活動の中で「結論」を押し付けようとは思わない。でも、作品を受けとめた方々が、それまでは見過ごしていた何かに気がついてくだされば、とても嬉しい。
郡谷もまた、自分自身の言葉で語った。ちなみに、彼女は文章を書くことは大好きな人間だけれど、詩を描いていたわけではない。溢れ出る創作意欲を、僕との共同企画の場で、「詩の朗読」という表現手段で試してみたのだと思う。ある意味では実験的な挑戦であったのだ。けれども、そうした前提を超えて、朗読という表現方法に対して意識的であり、同時に何をやりたいのかということを調和させた、その二点を意識した舞台を展開していた。
とてつもない才能の持ち主である。
郡谷は、誰からも愛されるような要素もあり、同時に野心家でもある。これから、大きく広い世界に羽ばたいていく存在だと、そう僕は思っている。
そんな方に出会えたことで、僕は多大に学ばせていただく機会を得た。
共演させていただけたことに、とても感謝している。
2024年 10月 1日