詩とことば(3) 奥主 榮

2021年12月08日

詩とことば(3)

第一章 顰蹙をかうようであるが(2)
 第一話 暴力を描いた作家(中篇)

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 一九六〇年代に、呵責のない残虐描写で弾劾された漫画家がいた。二〇二一年の一一月に他界された、白土三平である。
 領主の圧政に対して蜂起した農民が惨殺され、その首が晒される。そうした描写が「残酷で子どもに悪影響を与える」とされ、批判された。しかし、貸本漫画というアンダーグランドな場所で発表された作品は、子どもと低学歴で上京した(当時は金の卵と呼ばれた)未成年労働者たちに圧倒的に支持された。
 その人気は、一九六〇年の安保闘争を経た世代に注目され、やがて教条化されていく。白土作品は荒唐無稽な面白さを無視され、由物史観の教科書のような扱いを受ける。多くの「文化人」が論評の俎上に上げることで、自分を「漫画を理解している進歩的な人間」と装うようになる。
 でも、白土三平の漫画というのは、そもそも読者である子どもにとって、生理的な快感のある描写をしていたのである。それも、狙ったのではなく、自分の描きたいように描いたら、ダイレクトに子どもの生理的な感覚を刺激していたと、そんな形で。白土は、自作の中で忍者の使う術について解説をすることがある。しかし、そうした解説が最後までされなかった術に、一本しめじというのがある。一人の術者がかぶっている編笠を遠くへ投げる。地面に落ちた笠の下から、投げた本人がむくむくと姿を表す。何の説明もないが、見ていて快いのである。
 イデオロギーとは無縁だ。

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 僕が小学校低学年の時分、雑誌少年サンデーで読んだ白土作品に、「カムイ外伝」がある。この作品には、死の描写もあった。昭和四十年当時、「悪人が死ぬ」という勧善懲悪の漫画は成立していた。しかし、白土作品の中では、なんとも割り切れない死が描かれていた。
 そうした割り切れない暴力描写というのは、実は終戦直後の貸本漫画時代の手塚治虫作品にも登場している。
 手塚治虫のデビュー当時の作品として知られる「ロストワールド」の中には、植物細胞を持つ人造人間の女性が飢えた男に喰われるシーンが登場する。妙に劣情を誘う描写なのである。公的に出版される以前に肉筆で書かれた「私家版」も出版されている。手書きの原稿が学生時代の級友たちに回覧されたものである。おそらくこのシーンに刺激された思春期真っ只中の級友の誰かによって、破り、奪い取られている。刊行版では、欠落しているのである。
 ある時期から手塚は神格化されるようになった。ヒューマニズムとか健全さといった言葉とともに語られるようになった。しかし、僕はずっとそれに違和感をおぼえている。「ロストワールド」の中のこの描写、高校生の頃に復刻版で初めて読んだ頃から、レイプの歪んだ表現のように感じられたのである。ただ、そうした指摘は、ことに手塚の死後はしづらくなった。「良心的な漫画」を描くイメージが定着してしまったのである。ただ、くだんの描写を性暴力を描いているとする指摘が、身内の方からされているので、ここにしたためておく。

 手塚治虫の漫画は、そもそも初期から「悪書」の烙印を押されることが多かった。漫画の中で初めてキスシーンを描き、弾劾された。また、悪人のアジトで鍵穴から首領の部屋を覗いたらストッキングを脱いでいたので首領が女性と分かるという描写が問題視され、新宿のデパートの中の書店で取り扱わないとされたこともあった。
 どうしてそれほど問題描写をせざるを得なかったのかといえば、そうせざるにはいられなかったのであろうとしか言えない。それしかないではない。
 手塚はまた、近親相姦なども短編作品「暗い窓の女」、代表的な長編作品「奇子」、雑誌COM連載版の「火の鳥乱世編」などの作品で、くり返し描いている。何故そうした題材を扱ったかについては、また別の話題となるので、ここでは触れない。

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 例えば藤子F不二雄作品などもそうなのだけれど、一般的なイメージが「良心的」「健全」とされている作家の作品群には時として、かなりシビアな内容のものがある。藤子F作品の中では、人肉食、合法的な殺人といった内容が描かれている。藤子Fの作家としての怖さは、そうした異様な現象をさりげない日常の一コマのように描いてしまうことである。

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 作品内容がタブーブレッキングで問題視された漫画家は何人もいる。白土、手塚、藤子Fは、ある意味では評論しやすい作家である。

 永井豪は、「ハレンチ学園」で激しい批判を受けた。しかし、当時の子どもは圧倒的な支持をした。(志村けんが逝去された際、とても美化して語る人々がいたが、志村がデビューした当時、ドリフターズのお笑いは子どもに悪影響を与えるとされていたことを忘れたくない。そうした逆風の中で、娯楽を演じることに彼らの偉大さがあるのである。そして、子どもは概ね、大人が批判するものであろうと自分が好きなものはどこまでも支持する。)
 「ハレンチ学園」は、流行ってからは「スカートめくり」といった性に関わる描写のみが問題視されたが、連載当初は「非常識な学校教師のたむろする学園」を舞台とした内容であった。暴力的な教師に立ち向かう子どもたちの物語。そうした側面を持っていたのである。まともな感覚を持っている子どもたちに、非常識な要求をしてくるおかしな教師たち。この不気味さは、現在こそ身に迫ってくるものではなかろうか。

 永井の資質に関して、最も理解していたのはSF作家の小松左京ではなかったであろうか。永井の作品に、「オモライくん」というギャグ漫画がある。吝嗇な一家を狂言回しとした作品である。
 小松は、この作品が文庫化された際、こんな内容の解説を書いている。(数十年前に読んだ本の、うろ覚えな記憶なので、正確な引用ではない。)
 繊細な子どもにとっては、学校は地獄であった。
 小松の指摘に触れ、僕は見かけの上では良識に反する永井作品の根底にある傷に気付かされた。どうして作品群に惹きつけられたのかを理解した。

 ギャグ漫画家としてデビューした永井は、シリアスな内容の連載「デビルマン」を始める。実は、この作品、二〇二〇年に始まるコロナ禍の頃、僕は何度もその内容を思い出していた。
 テレビアニメとのタイアップ作品で、基本は氷河期に眠りについた悪魔の一族が復活し、人間世界への侵略を始めるという内容である。テレビシリーズは、脚本を辻真先が担当し、に悪い悪魔族を主人公がやっつけるという展開になっている。しかし、原作漫画を担当した永井は、暴走する。
 人間を侵略したい悪魔族は、やがて人間の最大の弱点が、疑心暗鬼に陥りやすいことであると気がつく。それまで身を隠していた彼らは、自分たちの存在を誇示することで、社会不安を煽りたてる。そうして、人と人、国家と国家を疑い合わせることで、自滅へと追い込んでいく。
 二〇二〇年からの、お互いに疑い合い、告発し合う状況はまるで、この永井作品のようであった。

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 一九八〇年頃から、日本のTVアニメが海外に輸出されるようになった。(それ以前からも、輸出はされていたのだけれど、この時期から今のジャパニメーションの土台が本格的に築かれ始めた。)

 この時期に印象に残っていることが、二つある。

 一つは藤子F不二雄の「ドラえもん」n対するこんな論調である。「あの作品は欧米ではまったく受け入れられていない。主人公が他者に依存する内容の作品は、自立心のある欧米の家庭では受け入れられない。」
 当時、僕はまだ二十代であった。こうした意見が不思議でしょうがなかった。
 一九八〇年代当時、既に藤子F作品の夥しい海賊版がアジアでは出版されていた。それは、メディアで扱われたりもしていた。
 欧米での評判を基準に、日本を「依頼心の強い国」とする理屈は、逆に藤子F作品が受け入れられているアジアの諸地域を依頼心の強い地域と見做しているように思えた。おそらく、「アジアは植民地にされてもしょうがない精神性の国々とおっしゃりたいのですね?」と反論したくなった。その瞬間相手は、慌てて前言を撤回したに違いない。

 もう一つは、永井豪原作のTVアニメがフランスのテレビで放送され、暴力的であることを非難されたという話である。くどいようだが、一九八〇年代を迎える頃の話である。
 その十数年後、東京のある美術館で永井豪展が開催される。そのとき、パンフレットに寄せられた文章に、フランスの美術評論家が寄せたものがあった。その内容はこんなものである。子どもの頃に、親たちから責められながら夢中になって永井豪のテレビアニメを見ていた、と。
 一瞬にして、「海外での評価」という言辞がふっとんだ。(布団よりも軽やかに。)

 大人たちからは「暴力的」と批判された永井のアニメーション作品は、それから二十年を経ぬうちに成人したかつてのフランスの子どもたちによって再評価され、美術館での展示が可能となるぐらいの評価を受けていたのである。

 ここで挙げたTVアニメの原作者である藤子F不二雄と永井豪は、一見対称的な作家である。代表作が「ドラえもん」であり、一般的な認知度の高い藤子F。先述のように世間的な評価は高いもののデビュー当時から「問題作」を頻発した永井。
 ただ、二人の作品に共通している特質には、似通っている側面があるそれは、周囲からずっと受け入れられなかった個人の、ひりひりとした痛みである。その痛みの中で培われた、既成の価値観への疑義である。

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 藤子F作品の中に、「テレパしい」という小道具が登場するものが二篇ある。一篇は「ドラえもん」の中のエピソード。もう一篇は大人向けの短編作品として描かれていたものである。
 どちらも、「テレパしい」というしいの実(いわゆるドングリ)がネタになっている。手にすると他人の意識が流れ込む媒体になるドングリ。そうした小道具を使い、藤子Fは描く。
 「ドラえもん」では、教訓的なエピソードとしてこの小道具が生かされ、大人向けの漫画の中では同じ小道具が辛辣な役割を果たす。(大人向けの作品では、主人公はかつて存在したぬくぬくとした世界はなくなってしまった、という述懐でエンディングを迎える。)

 藤子Fもまた、子どもに対して呵責のない描写をしてきた作家なのではないかと、僕は思っている。見かけの表現技法は全く異なった、永井豪と同じぐらいの強い衝動で、子どもが直面している暴力を描こうとしていたのではないであろうかと。そう感じる。

二〇二一年 一一月 一九日




奥主榮