連載:これも愛やろ、知らんけど ⑤48.3 河野宏子
日々はささやかな選択の繰り返しで、小さな分岐点で進む道を選び続けた「今」は結果でありまた過程でもある。すぐそばにいる人の手を握らない、その1日目はケンカしたせいか、たまたま忙しくてそうだったかもしれなくても、握らないことを毎日選択し続けたとしたら。一年後、二年後、やがて五年も経てば、毎日そばにいる人の手を握ることにも少し躊躇が生まれる。そしてまた触れる選択をしないまま月日は流れる。
タイトルの数字は日本のセックスレス夫婦(四十代まで)の割合らしい。共同通信調べで過去最悪だそう。数週間前にこの数字を見た時に、思っていたより低いんだなと思った。世間の既婚者からはあまりそういう色気みたいなものを感じないというか、みんな表に出さないで暮らすのがうまいんだなと、こういう時は他人に対して信じられない気持ちになる。わたしの感覚だと八割ぐらいはレスなのではないかと踏んでいた、というか日々みんなあんなにうんざりした顔して生活してるのにちゃんとスキンシップしてるのですね。大人って嘘つくのうまいなぁ。子供の頃、ときどき両親の様子が違ったことをぼんやり思い出す。父親と母親が親でない空気を纏ってぬるっとしたものに覆われている何というかあの気配みたいなものが、子供の頃とても嫌いで、家庭の中で邪魔だった。察すると寝ないで起きている子だったので、親にはさぞかし疎ましがられていただろう。
今回このニュースを目にして題材にすると決めてからずっと気が重くてほんともう吐きそうなんだけど、わたしはこの48.3に入っている側の人間である。この件について大前提として、誰も傷ついてなければ誰も悪くないし何も問題ではない。当事者としても誰も悪くないと思っている。でも問題ではある気はしてる。ずっとうっすらと視界の端にいる影から目を逸らし続けた結果今ここに、数字のなかにいる。
相手のいることなので詳しい話はこれ以上しないけど、手を握らないなんていうささやかな選択が積もり積もって人を傷つけることもあるのだ。息子が幼かった頃、保育園の帰りに「どうしてクラスで僕だけ兄弟がおらんの」と聞かれたたびに苦笑いしながら気持ちの奥底に真っ黒いものが広がったあの感じ。隣の部屋で眠っていても、悲しい夢から覚めたときはその温もりではなくインターネットの懐に逃げ込むこの感じ。何をしてるんだろうかとは思う。まぁ誰といても、というか誰かといるから味わう寂しさだろうと言ってしまえばそれまでだけれど。
そしてこの日々をぶった斬って新しい暮らしを始めるのかと言ったら、その覚悟も今のところない。以前と違って少しは収入も増えたが一人で子を養い生きていくには程遠いし、そもそもそんな思い切った選択が必要なほどひどい有様ではない、それどころかむしろわたしは人と比べたらおそらく穏やかで幸せな鳥籠のなかにいる。自ら進んで籠のなかにいる。わたしが自分の意思で壊して出ていくまできっと、このまま。しあわせは人と比べるものでない、絶対的なものだとは、わかっている。