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私誌東京
抒情詩の惑星 


専門家や愛好家ではなく、すぐ隣にいる誰かに通じる詩
ことばと人間復興ー

扉絵:りこ


2023年10月の前詩集『雲のからだ 海のからだ』に続いて、1年後の今年も新詩集が出版された。軽やかで手に取りやすい詩集のスタイルを継続している夏野は、マイペースを貫いている。
詩集を出版するということにはいろいろな意味でカクゴが必要だが、夏野にはそのような気張った姿勢がない。詩壇に向けて発信しようとか、賞を目指すとか、自分の立ち位置を示そうとか、そういった欲からは遠いところで詩を楽しんでいる夏野は、ただひたすらに詩を書き、読者に届けたいのだろう。すがすがしいスタンスだ。
詩集タイトルの「運搬のフィギュア」の冒頭部分と最終部分を中心に引用する。

第三者委員会に不正があったので
第四者委員会を設置したが
ぶっちゃけ、もう誰も分かっていなかった
無敵の人と無敵の人の最初の戦いがもうすぐ始まる
山から地元のスーパーに下りてきたクマも参戦して無敵の人を殴り殺すのだと
温室で培養された無敵の人より強いものは「野生」と「本能」だ
専門家会議も名刺に書いてある肩書も、本来確実に絶対に死ぬ人間にとって、中長期的なビジョンではあんま意味がねえと
台風と地震だって同時に来る
むしろ、何故こないと思うのか?
これらは銀河第五者委員会による「直観」なのだと霊媒師ハリソンは言うのだー

眠る前に意識を宙にとばす。寝室にしている六畳の和室の天井を幽体離脱したわたしが突き抜け、ドローンの空撮みたいに団地の屋上を映し高みにのぼるに連れ今度は鳥の目線になると淀川の蛇行が視野に入ってきて、飛行機の高さになると、あんなにごちゃつき入り組んでいるはずの梅田の街ですら、一枚のきらきらした光の基盤のようになる。あれが阪急、あれがJR、新大阪駅を貫く東海道本線。やがて瞼の裏は人工衛星からの映像に替わり、夜の灯りで縁取られた地形が雲の切れ間に覗くのを見ているあいだに、無意識のポケットに落ちる。

2024年9月29日、僕と郡谷奈穂の共同企画である朗読会が、阿佐ヶ谷の「よるのひるね(夜の午睡)」で行われた。僕にとっては大きなテーマであった「戦争」に関して、僕はメールと数回の対話で、郡谷に対していろいろと語った。(多分、熱情を込めて語る爺は、いい迷惑であったろうと思う。)
その際、詩の朗読の合間での語りについても、いくつかの試案を送った。
しかし、予定時間二時間前後の朗読会の中で、その内容を全て語り伝えることには無理があった。当日、試案に基づいて語った。(youtubeの「大村好位置チャンネル」に、動画が投稿されており、内容を確認することができる。) しかし、語り損ねた部分も多い。
...

身体表現に携わる人間は、例えば日常的な動作を極めてゆっくりと見せることで、ふだん人が見落としている所作の細部について受け手に意識させる。手法としては常套手段であるが、その行為によって作品と相対する側に何を惹起したいかという意図は、演じ手や作品ごとに異なる。
言うまでもないことだけれど、何かを実現可能であるということと、それによって何を表現するかということは、全く別次元の問題である。
多くの場合、観客の意識を操作することを避ける作家は、作為的な演出を意識的に選ばない。そうした選択は、下世話さを避けて高踏的なものを作りたいといった卑しい意識ではない。誰かの心情をコントロールしてしまうことを、半ば本能的に拒んでしまうのである。それは、ほぼ肉体的なレベルでの拒否感である。
...

できるだけ普通の言葉で伝えること。しかし、そこにたどり着くまでの葛藤は底知れないと推測される。人生の高波に出会い、激しい思いに自分自身も翻弄され、言葉に出来ないほどの思いが残る。それをどのように表現するか、が、困難な関門だろう。無情・無常は自分を傷つけるのだが、その痛みは他人には伝わりにくいものだ。人それぞれ体験の範囲が違うので、作者の痛みの大きさが読者の想像を超えることが多いのだ。
石田諒の詩集『家の顛末』の帯には「父の失踪、母の急死、私は22歳で世帯主になった。」と書かれている。詩の形式で表現されたシチュエーションは淡々と叙述されるが、その裏側にはザルで水を汲むような無常感が込められ、時に自暴自棄になるぎりぎりの状態、そんな切迫感が見え隠れする。「世話」という詩では、

僕が小学校を卒業した1970年代の初めに、「探偵〈スルース〉」という映画が公開された。ヒットした舞台劇を元ネタにした作品である。実際に観たのは、数年後にテレビ放映されたときであったが、とても興奮した。
「一カ所でもセリフを間違えたら舞台が成立しなくなる」というぐらいに緻密に作り込まれた作品なのである。展開の一つひとつに、「え! こんな伏線があって、こうなっていくの?」と、とても興奮した。
これに似た趣向の映画に、1980年代初めの「デストラップ・死の罠」がある。こちらも綿密に伏線が張り巡らされていて、だからこその意外性が魅力であった。

...

屋根の上には空があったはずだった
幼い頃の私は下ばかり見ていたようだ
その家から空を見上げた記憶がない
二階建ての屋根の上に登ったこともない

引っ越した先は坂の途中
くすんだピンク色したマンションで
屋根瓦などなく
六階の上にちょこんと銀色の短いハシゴが見えていた
エレベータは人の住む階までしかなく
非常階段は非常時以外、閉じられていて
ハシゴのあるところへ行ったことはない

煙突掃除、魔法使い、サンタクロース、大泥棒、スパイ、探偵、恋人たち・・・・・・
外国映画の舞台に屋上は欠かせない
屋根裏部屋も魅力的だ

カレコレ十年来のトモとなるレイさんとシゲさんが
SNSに古本市めぐりのような投稿をしはじめた
と思っていたらまもなく
「本屋を始めました」
小さな本屋であることを
日頃控えめなうえにも控えめな彼らが
...

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