過去の記事

UFOって見たことありますか?
僕は幽霊だの地縛霊だの守護霊だの、見たこと無いし、いるのかもしれないけどそういう類の存在とは無縁というか相手にすらされないと思っている

いるのかもしれないけど俺は用事は無いし、あっちだって相手を選ぶだろう

俺は低俗で脳に毒が回っている
幽霊がいたら俺にこう言うはずだ
「いや、あの、君じゃないから…」

高校二年生、オーストラリアへの修学旅行に行かせてもらった

九州への修学旅行組とオーストラリア組とで別れたのだが引率の教員を含め120人程度でオーストラリアに一週間滞在することになった

シドニーだとかキャンベラだとか行くのだが道中、週の真ん中あたりでど田舎の農場に泊まるという日があった
ほんと街灯も何も無い、柵すら見えない広大な農場に一泊する事になった

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実は、この時代について政治的な視点から語ることは、とても難しいのである。政治的な視点からは、大きな転換期であり、きちんと理解された方が良い価値観のシフト交代が行われた時期でもあったのだ。
加藤泰監督の映画作品に「真田風雲録」という一作がある。僕は若い頃(1980年代)、池袋の文芸坐地下でこの映画を見た。(元々は、昭和の前半にサンカ小説で知られた作家三角寛氏が始めた映画館人生坐がその母体となっている。今の、ビルの一スペースにある映画館という形態になる以前は、文芸坐は独立した映画館であった。地上では洋画、地下では邦画が上映されていた。ほかに、ル・ピリエという小さなステージや、映画関係の書籍を販売する専門書店があったことも併記しておく。)...

畳12畳の
東京23区ギリ片隅のもう24区になりそうなこの部屋に
きみが置いていく
シャンプーやリンス
きれいなルビー色の石鹸や
ほとんどつけなくなったテレビ台の上の
玉虫色の種のじみたヘアピンたちが
領地を拡大するみたいに
少しずつ広がっていく
染み渡るように
侵攻する
どちらがロシア軍か
どちらがウクライナなのか
電気をうす暗くしてから決めよう
俺はきみを支配した後に
降参するから
ユーモアだと解釈して笑ってくれ

久谷雉の第4詩集『花束』は、B6サイズ・ソフトカバーで小ぶりで手に取りやすい。使われている言葉は平易で内容も観念的ではないので、生活空間から詩集の世界にすんなり入りこめる。生身の身体や日常に重なっていながらも、少しだけ想像力の冒険を楽しむことのできる詩集である。飛行機で外国旅行をするのではなく、行ったことのない隣町の公園に行ってワクワクするような感覚に近い。
「品川行」という詩では、

さようなら、
どの色の歯ブラシをあてても
幽霊にはなれない
わたくしのちいさな近代よ
さようなら、
(…)
少女たちよ
わたくしのパンはもう燃えない
燃えることを知らないまま
灰になる未来を約束されている
(…)
春の品川 夏の品川
岸辺で崩れる泥団子から
二人称はこぼれない
草履も
雲も
流れてしまえ

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金縛りにあった、初めての経験だった
ヨシにその事を話した

「寝てる時に寝てる夢を見てるからそうなるんだよ」

ああ、なるほど
確かに記憶を辿ると夢の中で俺は寝ていたのかもしれない
夢の中で起きたはいいがが体が動かない、この時点で俺はまだ睡眠中である
動け!起きろ!でも、動かない動けない
パニックのまま朝を迎えた
起きた、やっと起きれた

その日は打ち合わせが長引いた上に余計な無駄話もかさみ完全に終電を逃した

俺とあと二人、なんでかよくわからない、タクシー代がもったいないという事で男三人でラブホテルに入った
改めて三人で同性愛者では無いと確認して二階の部屋に入った

あれ?こいつらって俺の何なんだっけ?
知人?友人?違う…
何だったっけ?

とりあえずシャワーを浴び、しょうもない話しをする
「あ!なんか飲みたくない?」
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僕が、角川文庫の「死刑台のメロディ」(ハワード・ファスト、藤川健夫訳)という本に出会ったのは、中学二年のとき(1972年)であった。この本は、アメリカ史上名高い冤罪事件であるサッコ・ヴァンゼッティ事件を扱った一冊であり、当時公開された伊仏合作映画「死刑台のメロディ」(監督ジュリアーノ・モンタルド)という映画の原作本として売られていたと思う。
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連載 第4回

2 1960年代という時代(1)

(※連載の第一回に、敬称に関して男性は「氏」、女性は「史」で統一するとした。それは、僕が子どもの頃から触れてきた各種の文章での慣例に習ったに過ぎない。しかし、最愛の妻から「(男女で敬称を分けることには)気持ち悪さを感じる」と批判され、確かにその通りかもしれないと思い直し、敬称は氏に統一することにする。)

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昨日の夜もチュン太郎とキャベツ太郎と壮絶バトルをしまして、もう今見たら、ごちゃごちゃになってしまいました。世間は狭いですね。知っているような人達の声が取り払えません。植え込みの紫陽花のドライフラワー状態の綺麗な花を1本枝を折って頂戴するのもいけない、と言われました。皆さんがあちこちにお手洗いを借りて落としちゃっていきますが、うるさい声を聞かされるよりは、耳にマイルドです。今日はしとしとと、お湿りが降っております。皆さん極力仕事をして税金を納めるのが大義名分のようで、こんな日も遅刻なしでしょうかね。フレキシブルなのかな?やっと生活が落ち着きました。でも最低限の税金のお零れの雫を戴いておりますので、ぼくも夕方位まで、おしとやかにしておりますね。因みにラブレターは敢えなく捨てられたみたい。

三重県桑名の交差点に、「地蔵」という場所があった。
そこの前に「ギロチン工場」があって
鬼頭商店と言った。
その交差点は全国的にも死亡事故が多く有名だった。
そう言えば、僕も桑名に住んでいた頃、その地蔵の交差点を登ったところで二度も追突事故に遭った。
僕は深夜、この地蔵の交差点を通るのが怖くて、逆に傘地蔵の話を思い出してみたりしたが、それはそれで、リアルに想像すると怖かった。
雪の降る夜中、地蔵が米俵を担いで、僕の家に向かって近付いて来る。

家庭を持っていても、夫婦どちらも料理が苦手なら外食をすれば良いし、食器も食洗機が洗ってくれる。掃除が苦手ならロボット掃除機に任せるなり家事代行業者を呼ぶなりすればいいし、今では洗濯もほとんど洗濯機がやってくれる。育児は大半が親の役目ではあるけど日中は保育園や学校があるし、ベビーシッターもいる。セックスが苦手な妻を持つ夫はお店に行けば良いし、同様の夫を持つ妻は、はて、どうするのがいいのか。

なぜ人は死ぬのですか
それは空が青いからです
ではなぜ人は生まれるのですか
それは夜が暗いからです
セックスですか
なにがですか
色欲ではないのですか
命は色欲ではありません
なぜ僕には恋人ができないんでしょうか
鏡を見ればわかるんじゃないですか
鏡に何が映るのですか
鏡にはあなたが映ります
でもこれは僕じゃありません
しかし私でもありません
不思議なことがあるものですね
不思議なこともあるものです
あのさ
はい
てめぇもういっぺん人の外見の悪口言ってみろ。ぶん殴ってぶっ倒して、ニッパーで鼻の穴1つにしてその中にウンコ垂れ流してやっかんな。前歯4本ペンチで抜いて、歯茎に爪楊枝20本刺すぞこら
すみません
なりたくてなってねぇんだよ
はい
やりたくてやってもねぇんだよ
そうですよね
ああ、友だちが欲しいなぁ
どうしたんですか急に
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数年前に行きつけの映画館で、「女体銃 GUN WOMAN/ガンウーマン」という映画を見た。このタイトルを初めに見たときに、僕は魅了された。こんなことを感じたのである。
「このタイトル、とてつもない駄作か、とてつもない傑作のどちらかになるしかないではないか。」そう思ったのである。
当日、喜々として劇場に赴き「『女体銃』のチケットを下さい」と言おうとしたら、受付にいた方に言われた。「ええと、今の時間ですと『GUN WOMAN』のチケットですね。」。僕は、「そうか、この映画は『GUN WOMAN』と呼ぶべきなのか。」確かに、その方が口にしやすいタイトルである。でも、僕の中では、「女体銃」という言葉の響きが、心の内側に広がる襞のように残っていた。
そうして、その日見た映画は、とても好みの作品であった。...

近所の映画館で、「ユーリ・ノルシュテイン 文学と戦争を語る」という一作を見た。ロシアのアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインが、ネット動画でインタビューに答えるという内容の動画である。ほぼ全編、画面はパソコンを介したノルシュテインの発言だけが続く。画面構成の作家性などを尊重される方々からは、映画として成立していないのではないかという疑義を投げかけられてもしょうがない。しかし、九〇分にも及ぶ夥しい言葉の群は、観ている側の人間を圧倒し、様々なことを考える契機ともなる。
優れた作家が、しばしば過剰な存在となることに、改めて思い至った。





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人の名前を間違えていることがあった。福祉の職員さんとか後2、3人とボードゲームをしていました。
職員さんなんだからわざとまけてよ宮下さん
宮武です。
あ、えぇっと。みやたけさん。
んーん。難しい局面になってきたな。あ、そんな無碍にみやもとさ 宮武です。
あ、すみません、みやしたさ
宮武です。
おかしいな。名前を間違われるようなかたではないんだけど。僕ちょっと危ないかな。うーん。これでこれ、あってます?
はい。あってます。じゃあこれ、交換して下さる方。あ、それなら私が。いいの?結構得しちゃうな、ありがとうございますみやしたさ
惜しい。宮武です。
ありゃあ?全然ゲームに没頭していて瞬時にみやえーっと、たけさん、って出ない。
じゃあ次の時には覚えて来て下さい。
はい。
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T-theater再起動の計画をぶち上げたのは良いものの、組織作りの宛てはなし。顔見知りの若い方に、マネージメントなどが出来る人を紹介していただこうと、相談を持ちかけた。このとき、実は相手がマネージメントとかをやってみたいと言い出してくれないかなという下心があったことも明記しておこう。しかし、話し始めてすぐに、相手の方はバックステージを勤めるよりも、表現者として表舞台に立つことの方が相性が良いのだと気がついた。さらに、二年後の舞台の手伝いへの確約はできないという。
その瞬間、僕は口にしていた。
「実は九月にPre企画を予定しているのですが、一緒に共演しませんか?」以前の舞台で周囲のメンバーがさんざん悩まされた、奥主の思いつき発言である。

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