「アリの話」07 大塚ヒロユキ
日が傾きはじめた頃、突然、風向きが変った。
峡谷を取り囲む尾根に霧がかかり、気温は急激に下がっていく。ロープの裏側にいるアリの頭上を流れている川も、今では霧に覆われてしまい、水音さえも仮想現実的な歪みを帯びて聞こえてくる。
数分前まで熾烈な熱波を放っていた太陽は神隠しにあったように消えてしまった。アリはロープの上に這いあがり、五感を研ぎ澄ます。すでに視界は360度、真っ白い霧に覆われている。
触角を頼りにアリは歩きだす。暑さで渇ききったアリの身体にとっては救いの霧である。今のうちに距離を稼いでおこうと思い、アリは足を速める。かつてない程の快適なペースでロープをつたっていく。