「わが地名論 序 ー連載の予告として」平居謙
この「抒情詩の惑星」の湯原昌泰から招待を受けて「晴天の詩学」を2022年から23年にかけて連載してきた。とても楽しく書いていたのだが、23年の10月に突然自ら終止符を打った。それはひとつには当時執筆中だった『平成詩史論』の仕上げに集中しなければならないためだった。だがそれ以上に表面をなぞるような詩学に限界を感じたからでもあった。表面をなぞる、というのは負の意味で言うのではなく、自分自身でそのように望んだのだ。しかし、そのぺらっちい書法ではどうにもどん詰まりが来るような予感がしたし、また近現代詩の研究者としてもう少し掘り下げたところにすすんでゆきたい、という思いも生まれていた。
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連載を終えた時点で、湯原は寛大に次の機会の相談に乗ってくれた。再開に関しては、僕自身の詩、僕が選ぶ詩、僕自身についてのいずれかを書くのはどうかというありがたい選択肢まで示してくれた。『平成詩史論』が出来上がったら改めてくらいに考えていた。しかし脱稿から何か月経っても、出版社からは少しずつ校正が送られてくるばかりであった。それほどにまで厳密を要する作業であって仕方ないのだが、完成を待っていては新たな詩論を展開する絶好のタイミングを逃してしまうという思いが僕の中で強くなってきた。それでその怖れを力に換えて、ここに新しい稿を起こす次第だ。
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再開するにあたって、今回は湯原が提示してくれた3つの選択肢の全てを網羅するようなものを書こうと思った。自分の過去の生活や自作詩について語りながらも、そこにとどまらず詩の本質を射抜くようなもの。ただそれがような形になるのかは、最初全く見当がつかなかった。
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僕は今、京都の小さな女子大学の「国際観光学科」で教えている。僕自身「観光」など興味の埒外だったのだが、学科がコミュニケーション学科から変更されたので仕方ない。だがどうせ勤めるなら本気で何かやりたいなと、少しずつ自分の領域と「観光」との接点を探っていた。ある時、恩師・佐藤義雄の研究書『文学の風景 都市の風景』(蒼丘書林)に触れて、文学における〈場所〉の問題を考える手がかりを得た。その後新型コロナ期に講座「近代日本文学を歩く-文学の認知空間」をお手伝いする中で、詩の中で〈地名〉を使うことの意味についても自然と考えるようになっていった。
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詩は現実を一旦解体して、架空の時空の中に新しい現実を再構成することを旨とする。それだから何の具体的地名も人名も出てこない場合も多い。少なくとも僕の詩はそうだ。しかしそれでも東京、パリといった地名、或いは大谷翔平といったような人名が具体的に現れてくることも時にはある。この具体名を切り口として一篇の詩を改めて読み直してみるというのはどうだろう。僕はこのアイデアに夢中になってきた。
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とは言え、古今東西数限りない詩の中から「地名」「人名」を拾い出す作業をしたとて何になるだろう。それにそんなことをしていたら、湯原が示してくれた〈僕自身について語ること〉には到底行き着けはしない。
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そんなわけで、結局のところこれまでに自分自身が出してきた詩集に絡めながら、改めて詩とは何かを考えてゆくことにした。僕は『時間の蜘蛛』(習作集=第0詩集)をはじめとして第一詩集『行け行けタクティクス』、その後『無国籍詩集 アニマルハウスだよ 絶叫雑技篇』、『基督の店』、『春の弾丸』、『灼熱サイケデリ子』、『太陽のエレジー』、『燃える樹々(JUJU)』、『京都タワー日和』などの詩集をこれまでに出している。連載中にもう一冊くらい出すことになるかもしれない。それらの詩集の中の、主に「地名」(時々人名)に目を向け、それを起点に僕自身について、また僕自身の詩について書くのである。
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僕自身について語ったところでごく一部の人しか興味を持たないだろう。しかし、僕が本当に書きたいのはその向こう側にある、僕の一生をこんなに絡め取ってしまうことになった〈詩とは何か〉ということである。それに、読者や批評家が読むのとはまた別に、作者本人にしか分からない〈地名〉への思いというものもあるに違いない。またその中で、随時僕自身が興味を持つ〈最現在(の作品、状況)〉にも触れる。自分について語るかたちをとりながら、詩の本質について語り得るという確信がようやく僕の中にやってきたのだ。読者諸氏がこの連載を心待ちにしてくれることを望んで、ここに連載の予告とする。