「浪花くいだおれ紀行」TASKE

2022年08月31日

明日朝起きたら生きてるといいなぁ...

ライブツアーを始めたばかりの頃は
主に新幹線か鈍行での移動だった
障害者割引を駆使しながら
しぶとく、そして、図太く

ツアーを始めたばかりの頃は
20代前半だった
俺は若過ぎたのもあり
高速バス移動を極力避けてた

当時から高速バス横転炎上事故とか
多発してたし
万が一、乗車してたバスが事故って
巻き込まれたくなかったから

それでも1999年の冬頃、大阪は江坂ミューズと名称が変わる前のブーミンホールでシンセのサポートメンバーとライブした後の帰り、初めて夜行バスを利用した

あの日が初めてだった会場だけど
天井が高く、ホールも広く、照明も格好よく
何より音がよくて楽しかった
商店街の中にあったデパート
東急ライブプラザブーミンの5階
楽屋が屋上で移動が少し面倒だったけど

当時は実力を試したくて全国は勿論、大阪府内のハコで音源審査の通ったライブハウスでは片っ端からステージを経験した

色んな方々ともコラボした、バンドも組んだ
ワンランク上の会場も経験した
世の中上手く行かない事ばかりじゃないと
少しでも実感が欲しかった

人生、いつ何が発生するかわからない
楽しめるうちに楽しんでおきたい
とりあえず、お腹が空いた、江坂は吹田市

御堂筋線で梅田へ移動

バス到着まで駅構内の串カツ屋で打ち上げ
聞けばサポートメンバーは朝昼と
ミナミで串カツを食いまくってたらしい

嗚呼、浪花くいだおれ紀行
ビールの酔いが外回り、内回り
こってりアルコールパワー

酒は呑んでも呑まれるな

甘口醤油とキャベツがこんなにも合うなんて
思えば俺も新世界や京橋で串カツを食いまくった事があった

通天閣並みに打ち上がり、ちょうど
発車時刻が近付いて来たので男2人で移動

走る高速バス
カーテンの隙間から垣間見た
蛍の瞬間移動
窓ガラスに映る夜景と街並み
夢の中の残像
移動と共にスクロールしてく
明日は我が身
日替わりの背中合わせの覚悟

ジャンル関係なく俺はライブへ来てくれた方々のサービスエリアで在り続けたい

ぽっかりと夜空に浮かぶ
たこ焼きのような満月に
青海苔と紅生姜色に輝く
星達を振りかけてみたい

北海道から鹿児島まで範囲広げたはいいけど
手荷物を忘れたり失くしてばかり
何度か余計なトラブルに巻き込まされたりと
常にそれなりのリスクが伴ってた

20世紀末から21世紀へと向かって続けて来た
20代の架け橋は死を覚悟しながら渡り歩いた
21世紀に夢すら感じられなくなったこの時代
もうあの頃目指してた未来はほぼ消えてた

別に夜行バスじゃなくても
1985年夏、日航ジャンボ機墜落事故
2005年春、JR福知山線脱線事故など
どの交通機関でもそれは一緒

こればかりは時の運なのかも知れない

メジャーデビューには届かなかったけど
インディーズでCD3枚リリースしたから
悔いはないと言えば嘘になるけど
それなりに達成感はあった
ただ可能性探しの旅はまだ諦めてない

ライブやスラムやオープンマイクにせよ
耳栓と共に毎回最後の覚悟で挑んでる
字幕のない右も左も見えぬ
画面の中の世界を手探りで求めながら

四六時中耳鳴りがするようになってから
益々フルボリュームな音楽が嫌いになってた

どうせなら炎の中で気付かぬうちに死にたい
でも現実的には死にたくない
掴んだ栄光の先の景色も見てみたいから

あの味を忘れたくないから

そして翌朝
新宿へ到着

嗚呼、今回も生きて帰って来れて良かった。