「きみはジュネを抱えて」#1 我妻許史
カーテンを開けるとネスカフェのコマーシャルの一場面のような清潔な朝が広がっていた。差し込む光は柔らかくベッドを照らし、太陽のくすぐったい匂いがした。ぼくは窓を開けて出来立ての空気を吸い込む。通りは歩行者も車もなく、静かで夏の朝らしい、湿り気を帯びた瑞々しい植物の匂いがした。
ぼくは台所に行って専用のケトルで湯を沸かし、コーヒーを淹れる。丁寧に、この一杯がこれからのことを決定するかのような慎重さで、ゆっくりと「の」の字を描きながらコーヒー粉の上に熱湯を注ぐ。親密な時間の中、一杯のコーヒーが出来上がる。バターをたっぷり乗せたトーストが食べたかったけれど、無いものは仕方ない。ぼくはゆったりとした一人用のソファに腰かけて、誰もいない通りの景色を眺めた。
浴槽にたっぷりとお湯を張って身体を沈める。贅肉も筋肉もない貧相な身体を眺めて、ため息のようなあくびをする。ぼくは長い時間湯に浸かり、丁寧に身体を洗った。浴室から出て、水を飲み、カーペットの上に寝っ転がる。何もすることがないぼくは「いつまでこの生活が続くのだろう」という気持ちを飲み込んで、横になりながらレコード棚をぼんやりと眺める。ぼくはちょっとしたレコードのコレクターで、ロックを中心に希少な盤を揃え、所有してるレコードは上から一軍、二軍とランクづけをして、ジャンル、年代順に並べている。
こんなときはどんな音楽を聴けばいいんだろう? 明るい曲がいいのか、暗い曲がいいのか、精神を鼓舞するような音楽がいいのか、それとも静謐な美しさを湛えた音楽がいいのか、あっけらかんとしたポップ・ミュージックがいいのか、それとも――ぼくは棚から天井に視線を移して「死」について考える。いやいや、それはダメだ。無気力に寝っ転がっているからこんなことを考えてしまうんだ。ぼくは立ち上がり、姿見に自分を映す。上半身は裸、パンツ一丁、髪の毛は七十年代のロッカーのようにボサボサと伸び、髭も無精ひげというレベルを超えていた。これじゃ遭難者だ。ぼくはデニムを穿いて、学生時代に古着屋で買ったドット柄のシャツを羽織ってみる。ぼくは笑った。今にも「ラブ&ピース」と言い出しそうな感じだ。ぼくは右手にチョキの形を作り「ピース」と口に出してみる。そして、虚しい気持ちがやってくる前に棚からレコードを取り出して再生する。
ジョン・レノンを聴いたのは久しぶりだった。ぼくは彼の歌声に合わせて、身体を揺らしながら曲をハミングする。善き感覚が身体の内に広がっていく気がした。気分がよくなってきたぼくは、ジョン・レノンを幹として派生していった音楽をかけていった。
レコードを聴きながら動物園のクマのように部屋をぐるぐると練り歩く。七十年代の音楽をいくつか聴き、身体が汗ばんできたところで、ぼくはステレオのスイッチを切る。時計を見るとまだ午前中だった。
目をつぶって考える。読書家の人間ならこういうときでも有効的に時間を使うことができるんだろうな。ぼくは残念ながら読書家ではない。今まで読んだことのある小説なんて両手で収まるぐらいだろう。ぼくはそもそも「文学」というものが苦手だ。文豪と呼ばれるような作家の作品をいくつか手に取ったことがあるけれど、苦悩や、人間の愛憎といったような、ベタっとした感情が描かれていると、なかなか最後まで読み通すことができなかった。どうしてそういうものがありがたがられるんだろう? もっと肩の力を抜いて、昼間からビールを飲んで腹を出して寝っ転がるような小説があってもいいような気がした。
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