「ちょり君のこと」 馬野ミキ
「ちょり君のこと」
詩誌「詩学」が設けた最優秀新人賞の第一回に(2005年)
ちょり君とクロラ君が同時受賞した
それはこの界隈では小さなニュースでもあった
クロラ君は2ちゃんねる詩・ポエム板出身の後輩
二人共若いイケメン王子様風でなおかつ名前が「ちょり」とか「クロラ」とかハンドルネーム風というか
自分が「詩学」に連載を持っていた頃、
ちょり君を新宿は思い出横丁の岐阜屋に連れて行ったことがあって大層喜んでいた
そこでちょり君の発行する小さな雑誌のインタビューを受けた
酒を飲みながら。
自分が「ミキ」ではなく「馬野ミキ」と名乗るようになり
一時期、対外的な狙いもあってスーツを着てたことがある
するとちょり君も「僕もスーツ着てきました」とあれはウエノポエトリカンジャム3の打ち上げであっただろうか
そういう可愛げがあった
まだ若いくせに「若い人たちに場を」というようなじじいみたいなことを言うので年上の俺はどうすんねんと思ったことがある
早く年老いて、後進の指導にあたりたいみたいな謎の欲求とか
自分の持っている血筋みたいなものに対する抵抗、
そういう何者かになりたさ、みたいなものは感じた
最後に話したのはそれから二十年の時を経てツイッター(現:X)のスペースで
自分が悩んでいたバンド活動の人間関係について明快な意見をくれ
京都にミキさんのバンドを呼ぼうか、という話もあったようだ
この「抒情詩の惑星」にも、ちょり君の原稿がある
俺がちょり君に寄稿を打診し、しかしその作品に対する「意味」を問うた時、ちょり君は少し怒った
僕は「意味」よりもイメージや響きに重きを置いています、ということだと思う
またちょり君は作品に対するギャランティーを求めた
かつて俺が「詩学」に対して行ったのと同じことだ
自分は経済的事情からそれを断り、読者よりペイペイやアマゾンギフトを募ることは出来ると話した
ちょり君の「抒情詩の惑星」への寄稿は二篇にとどまった
ちょり君が亡くなった後、クロラ君とラインが繋がり
「ご無沙汰しています。僕も先ほど知りました」という返信が来た
ちょり君のことを何か書いてみるかい?と問うたが、その返信は今のところないー