「とりこ」寺西幹仁/解説 馬野ミキ

2023年03月03日

「とりこ」

小学生のころ
毎週日曜日野球をした

広場に集まったこどもが奇数のとき
一番使えないこどもを残しグッパーでチーム分けをする
チームが分かれると代表が出てじゃんけんをする
負けたほうが残ったこどもをチームに引き取る
一番使えないこどもをとりこと言った
私はとりこだった

その日も私はチームの代表にはさまれ
じゃんけんのまんなかに立っていた
だれかが あれ という顔をした
振り向くと祖父が立っていた
そのとき祖父がどんな顔をしていたか憶えていない
恥ずかしさと情けなさで脳みそがいっぱいになった
私がとりこであると家族には知られたくなかった

私は家に帰れなかった
丈の高い草の茂った河原があって
私はそこに身をひそめた
夜になると湿り気が尻を冷やす

今も私はその河原にかくれている
明日こそ迎えにいかなくては
そう考えている






寺西幹仁「副題 太陽の花」(詩学社)より


安孫子正浩さんの寄稿をうけて
寺西幹仁が遺したもの  ■孤独な誰かへのテスタメント  安孫子正浩

いま2023年3月現在、Googleで「詩学」を検索した場合
まずアリストテレスの著作のwikipediaが出てくる
それからファイナルファンタジーというコンピューターゲームの記事
そいから詩論、他
つまり「詩学」というワードで、それはかつて岡本太郎さんなんかも文章を寄せていた、新宿の紀伊国屋書店に毎号並べられていた、十五年まで現存した商業詩誌なのだけれど
それ自体を知っている人だって多分多くない
いま二十歳の人はこれが何の話であるのか分からないだろう
昨今、現代社会ではAIがお盛んであるがインターネットが発展する以前に起きたことについて
そのデータベースに乗っかっていないことについては
chatGPTも回答をだせない

詩学、及び詩学社の著作物の権利について
法的に「詩学」を継ぐ人はおらず
最終的に寺西さんはワンオペで商業詩誌「詩学社」を廻しており
ご遺族の意向として、詩関係の人々との縁を断ち切る ということもあって
生前、友人として最後に酒を酌み交わし
遺体の第一発見者となった自分であるが
ではこれから、自分は何が出来るのか まったくわからなかった

白井明大さんを中心に「詩学」のバックナンバーについて整理しようというサイトがある
詩学の友

寺西さんか亡くなられる数日前にインタビューをしたノートがここにある
寺西幹仁インタビューノート

インタビューノートを抒情詩の惑星にUPした時、僕は寺西さんの詩作品も同時に更新した
そして安孫子さんに注意を受けた
その辺りの事については安孫子さんが上記の頁に書いておられる
安孫子さんとは同時期に「詩学」に連載を持っていたという間柄であった
それから一年ちょいたって先日、安孫子さんから異なるアプローチがあった
安孫子さんも気にしておられたのだろう

寺西幹仁の詩集「副題 太陽の花」は国会図書館にはあると思う
つまりどの書店にも売っていないだろう 或いは日本中の古書店を巡る旅に出るか
というわけで、再度、ここにとり上げたいと思う

物質にしろネット上にしろ、いつだっていつまでも何でもあるということはない
僕のこの行為が、誰かの権利を侵害しているのであればその責任は自分にある
或いはこれからの詩は
紙に残すというか、岩に刻むべきかななんて思う。





馬野ミキ