「アリの話」02 大塚ヒロユキ
奇妙な揺れ方をする吊橋の上で、アリの意識は揺らぎはじめる。
頭が何倍にも膨れ上がり、恐ろしいほど比重の軽い液体で満たされたような感覚。今朝食べたマッシュルームのせいかもしれない。
茎がひょろ長く傘の小さな黒いキノコ。紫色を帯びた胞子。橋のたもとで夜を明かした髭づらの男は、それを聖なるマッシュルームだと言った。彼はアリのために小さなキノコオムレツを作ってくれた。
「一日の始まりはこれに限る」そう言って彼は、青く澄んだ空に太陽が顔を出すのを待っていた。
アリの足元がもつれはじめる。アリは吊橋に張られたロープにしがみつく。感覚が鋭敏になるのに対して、意識は散漫になる。
……おれは罰を受ける身ではない……
橋の下から吹き上げてくる風がアリに手招きをする。
……だからこそ、おおいに罰をうけようじゃないか……
橋を取り囲む山が唸り声を上げる。
……お前の過ちを証明するために……
脈打つように揺れる吊橋の上で、アリは幻視の世界へと導かれていく。
◆
夜風を頬にうけながらアリは橋を渡っている。それは吊橋によく似た仕組みのコンクリートの橋。巨大なコンビナートが立ちならぶ工業地帯。
埋め立てられた土壌に道路が碁盤の目のように区画されている。
激しい車の往来、排気ガス、電子雑音の洪水。アリの耳には巨大な怪物の唸り声に聞こえる。
夜風がアリの頬をかすめる。微かな潮の香り。アリはかつての恋人のことを想い、胸を熱くする。遠くでサイレンの音が鳴り響く。
アリは橋の下を流れていく河を見おろす。黒い空を映しながらも、その河は奇妙な精彩を放っている。
アリは海水とオイルの混ざった黒い河に映る自分を見つけようとする。
アリの視界には霧が舞っている。黒い水面にガラスの破片を撒き散らしたようなプリズムが起こる。
アリは河に浮かぶ月を見おろす。アリの目には万華鏡のように幾つもの月が映っている。かつて手の届かなかった雲が流れ落ちたその河で無数の月が手招きをする。
アリは黒く光る水面へと落ちていく。微かに揺らぐプリズム、アリは神の力によって救われる。
アリは水面を藻掻くようにして歩いていく。七色の光に目を奪われながらも、アリは黒い水平線を越えていく。だが恋人はもうどこにもいないのだ。アリは巨大な波にのまれ、滝の中へ吸い込まれてしまう。
一度濡れた身体は、強靭な意志を持ってしなければ水面を歩くことができない。
そしてアリは沈黙する、闇の中へと沈んでいく。