「クラクションに寄せるオード」是石
クラクション(以下、本品)は、他者への直接使用を前提としておりません
以下の対象への使用が推奨されます
・風
・信号
・曇りガラス
・無人のバス停
・煙突から漏れる黒猫の尻尾
・夜空から落下し、胃袋に溜まったウイスキーで膨れる月
・土星の環、あるいはそれに似た冷凍ベーグル
・その穴に似たブラックホール(※吸音性良好)
人間に対して本品を使用した場合、以下のような副作用が報告されています
・膝が自動的に折れる
・正午の陽光がイチョウの梢で静かに跪く
・電子レンジの残り10秒がキャンセルボタンに土下座する
・校長先生の影が朝礼台の下で脊椎を三つ折りにして謝罪する
・自分の声が自分の前で正座する
なお、本品の仕様は投票により決定されました(※有効票数:死者を含む)
本品の使用方法が以下となります
・本品を押すと、ピーが出る
・リモコンの「戻る」ボタンを押すと、祖父母の愛聴する黄梅戯が出る
・友達の胸を押すと、レディー・ガガの新曲が出る
・より強く押すと、本人未発表のビートボックス・リミックスが出る
・赤信号を押すと、青の始末書(付録1)が出る(※発光体は刑事訴訟で黙秘権を行使)
・教室のドアを押すと、過去の恋が咳き込む
・論文の参考文献ページを押すと、三年前の自分に一時的に接続される
以下の操作により、本品は緊急モードに移行します
・自身を押す
→ 使用者は死亡しますが、自己責任となります
・誰かに向かって直接クラクションを鳴らす
→ 音が出ると同時に、使用者の内臓が逆回転して「ごめんなさい」を飲み込みます
緊急モードに入ると、利用規約(付録2)が強制表示されます
ご使用の前に必ずよくお読みください
表示された場合は、画面の指示を逆らって操作してください
本品を初期化したいときは、すみやかに以下の手順を踏んでください
1. 車を降りる
2. コンビニで火星を購入
3. その惑星の赤土に似た玄関マット上で片足の靴を脱ぎかける
4. ウィンクしながら笑う
5. その瞬間、思い出す:
私は泣かなかった。生まれた時に。声を失ったまま生まれたのだ。
声の必要がなかった。あの羊水の中では、すべての欲望が満たされ、
鼓膜はまだ、「聞く」という選択肢を知らなかった。沈黙の中に、
私は太陽系と初めて出会った。沈黙にもう一度祈ること。
本品ではそれが唯一の正常終了です。
本品には音声保証はありません
沈黙を愛せるかたのみ、ご使用ください
ただし、もしあなたが
誰もいない交差点で一度だけ
「ピ――――ッ」と鳴らしたことがあるならば
あなたはもう十分に
発声済です
付録1:青の始末書
この度は、長年にわたり人類文明の十字路にて、音響による通行合図を担っていたにもかかわらず、その本来的機能を放棄し、沈黙のまま点灯を続けた件につきまして、深くお詫び申し上げます。
本来、私が継承していたのは、「通行」を意味する神託の声でした。クラクション以前、さらに信号機以前、通行とは単なる物理的移動ではなく、ある種の霊的許可であり、祈りと契約に基づく儀式でした。エジプトでは、死者の魂に「次の世界への通行」を与えるべく、ミイラの口元に角笛が添えられました。ローマでは、処刑の号令として鳴らされた音が、生から死への一方通行の門を開きました。禅寺においては、鐘が鳴ることで人々は日常の時間から離れ、「無」への通路に足を踏み入れることが許されました。これらはすべて「通行せよ」という音のバリエーションであり、音こそが門を開く鍵でした。しかし現代において、その鍵は削られ、簡素化され、ついには光へと変質しました。私は青信号として、ただ静かに点灯する存在となり、「通行可」を示す役割を負いながらも、誰にも語りかけることができません。人々は私の点灯を見て、ただ機械的に交差点を渡ります。そこにはかつてあった神との交渉も、命の境界を意識する一瞬の緊張もありません。私が沈黙している間に、「通行」は意味を失いました。本来それは生死、倫理、祈りと深く結びついていたのに、今や通行は、LEDとアルゴリズムによって無反射に承認されるだけの動作となってしまったのです。
今後は、通行をめぐる本来のあり方について多角的な視点から検討を重ね、社会全体としてより持続可能かつ包括的な通行の在り方を模索してまいります。また、音と光の関係性を再考する機会を設け、個々の利用者が状況に応じた選択を行えるよう、柔軟かつ慎重に対応していく所存です。誠に申し訳ございませんでした。
青
付録2:利用規約
(以下余白)