「ファミコンはやってこない」GOKU
ファミリー・コンピュータ(以下ファミコン)が発売された当時、私は小学校6年生。まだまだゲーム・ウォッチの虜だった。私が唯一もっていたのはバンダイの「バクダンマン」。年上の従妹のお下がりだったと記憶している。ゲーム・ウォッチが5000円前後なのに対して、ファミコンは本体だけで14800円。しかもそれだけは遊ぶことができず、更に5000前後のソフトを購入しないといけないのだから、小学生には大変に高価な代物であった。そして、我が家は、断固として子供にゲームは買い与えない(というか、そのようなものの存在も知らないような)方針の家庭であった。そもそも当時の両親は、仕事に明け暮れており、子供の世界でどんなものが流行しているのかには、まるで興味がなかったのではないだろうか。当時の両親に仕事以外に楽しめるものがあったかも謎である。
そして訪れる「ドラゴン・クエスト」の大ブーム。鳥山明の模写から絵を描き始めた私にとって、それは憧れのゲームであった。漫画雑誌に掲載される鳥山明のイラストを見るだけでも大興奮で、それがゲームになったのなら、ぜひ遊んでみたいと思うのだが、やはり我が家にファミコンのやってくる気配はなかった。田舎過ぎて、アイスクリームを売っている店がひとつあるだけ。車で1時間走らないと、おもちゃ屋さんもない。それでもファミコンを持っている友人が、学校に1人(彼はヒーローだ)。そしてクラスに1人(まだまだ彼はヒーローだ)と現れ、幼馴染がファミコンを手に入れてしばらく後、2泊3日で、ファミコンを借りたのである。しかもソフトは「ドランゴン・クエスト2」。
限られた時間の中で、私は冒険する。学校から帰れば、勇者になる。宿題はやらない。トイレと晩飯の時間だけ現実を生き、あとは当時2階に置いてあったテレビでファミコンをする。寝る間も惜しんで、2泊3日という限られた時間冒険する。許されるなら学校へなど行きたくなかったが、それは許されていなかった。期限があることで、私は冒険の先を急いだ。強くなるのを待つ時間は与えられていなかった。少しでも新しモンスターを見たい。少しでも物語の続きを、新しい仲間を見つけたい。そして睡魔に襲われれば、ふっかつのじゅもんをメモし眠るのだ。もちろん寝ぼけて写したふっかつのじゅもんにより、ふっかつできなことも経験した。しかし泣いている時間はない。この冒険には期限がある。学校へ行く時間、寝食の時間、トイレの時間以外の全てを「ドラクエ2」に費やしたものの、先を急ぐあまり、死んでばかりの冒険は大して前へと進まなかった。モンスター出るな!出るな!!と心の中で呪文を唱え、とにかく直線、最短距離で、隣町を、洞窟を、通り抜けようとする私に、モンスターは容赦なかった。結局、物語がどこまで進んだのか記憶にないが、3人のパーティはできたような気がする。仲間が加わるときの感動は、現実に友人ができるときよりも遥かに興奮したものだ。現実で友人ができるときって、それが後にどれだけ大切な友人であっても、そんなに感動するものでもないしな。
で、結局のところ我が家にファミコンが来るのは、あまりにもゲームを買ってもらえない私達兄弟を不憫に思った東京の叔母が、「マリオ・ブラザーズ」のソフトとともに本体を送ってくれたからなのだが、そこからファミコンに燃えたかというとそうでもなく、ほとんどゲームというものをすることなく大人になったのである。たぶん、私の人生で、友人から借りたファミコンで「ドラクエ2」をやったのが最も熱くゲームにのめり込んだ2泊3日だったのではないだろうか。うん、まちがいない。