「フォークやロックについて僕が知っているいくつかのこと(3)」奥主榮
連載 第3回
(承前)1 日本での欧米の音楽の受容(3)
表層的なスタイルとしての「フォーク・ソング」だからといって、けして貶められて良いものではない。浜口作品にしても、森山作品にしても、まだ試行錯誤の時期であった「日本のフォーク・ソング」にとっては、必要な過程であった。
けれど、そうした「これがフォークです」と確立してしまったものに対して、疑義を抱いた方々はおられた。そうした一人が、後に「マイク真木なんて」という言葉を発した小室等氏である。分業システムに依らない、自作の唄としてのフォーク・ソングに関する模索が、多くはアマチュアの手によって始まる。しかし、この時点で再び亀裂が生じていた。手本として選ばれた「本場アメリカのフォーク・ソング」の中でも、奏法や聴いた印象は、ウディ・ガスリーとブラザーズ・フォーでは全く異なる。個々人が、どのような方向性を選ぶかに優劣はない。しかし、なまじいに分業システムによらない(当時の大多数の価値観から、商業主義的ではないという言い方をされることもあった)音楽を目指していたため、同じスタート・ラインから始めた相手を否定するような関係性も生まれた。前回の原稿の末尾で、「齟齬」という語を用いたのは、こうした状況を背景にしている。
ここまでの記述は、主に日本のフォーク・ソング形成期の、日本での欧米の音楽の受容形態を軸に、僕の拙い知識でまとめたものである。しかし、同じ構図をロックに当てはめる訳にいかない。労働者の歌として自然発生的に生まれたフォーク・ソング(ただし、後に詳述していくように、それほど単純なものではない)とは異なったルーツを、ロックは持っていて、それらについて僕は詳しくない。
最近、ロック・ミュージックについてまとめたドキュメンタリーを観ていて、ロックのルーツについて、二十世紀初頭のヴォードヴィルについて言及されている一篇(題名失念)を見て仰天した。「寄席芸人」と訳されることもあるヴォードヴィリアン。少し意外ではあるが、その奏でた歌舞音曲を、ロックの原点とする解釈も、可能らしい。妙に音楽性に固執した粘着質の解釈ではなく、極めてちゃらんぽらんである。こういうのは、良いなぁ。
別のドキュメンタリー、リトル・リチャードを描いた「リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング」には、アメリカでの初期のロックは「野蛮で下品な劣等人種の音楽」とされ、アンダーグランドのものとして扱われていたことが描かれる。黒人専用のFM局でかけられるリトル・リチャードらの曲は、自家用車の中という、若い人が大人の介入から逃れられる場所でのカー・ラジオによって白人にも聴かれるようになっていった。しかし、非道徳的で若者を堕落させる音楽として非難される。当時の新聞の紙面に「ロックンロールは、共産主義者が黒人を利用して白人の若者をダメにさせるための道具として生み出されたものだ」という、赤狩りの先入観と陰謀論が入り混じった記事が掲載されているのを見たときには、吹き出してしまった。この映画の中では、黒人の「野卑な」音楽を白人が「洗練された歌声で」カバーしたもの(パット・ブーンなど)が、最早ギャグとして笑いのめされている。
余談になるのだけれど、京都アニメーション放火犯について、自意識過剰に「自作をパクられた」と主張している加害者に関して、事件当時僕はこんなことを書いた。「容疑者(当時)の作品を、出来るだけ陳腐でくだらない内容に思えるように、書き手の前で音読してやりたい」。これに対して、実際に法的な罰として、へヴィ・メタル好きの犯罪者に対して、フランク・シナトラを強制的に聞かせるという拷問が実施されたことがあるという話を教えてくれた方がおられた。(真偽のほどは確かではない。) 朗読だって音楽だって、暴力と化すことはあるのだ。閑話休題。
ちなみに、この連載の冒頭に外国の音楽の受容の仕方として、分業システムによって音楽スタイルを真似たものについて説明したが、それ以外にも外国の流行歌に日本語の歌詞を付けて、日本人の歌手が歌うというものもあった。これらに関しては、坂本九氏が外国のヒット曲である「すてきなタイミング」をどれだけ高い水準でカバーしているかを、原曲とカバーとのクロス・フェイドの音声によって検証した動画を以前に見た記憶がある。パット・ブーンがカバーしたリトル・リチャードの歌は、そうしたカバーに比べて、遥かに低レベルで侮辱的なものであった。(ちなみに、2023年に公開された映画に、「火の鳥 エデンの宙」があったが、これは原作である手塚治虫氏の「火の鳥 望郷編」から、近親相姦、食人といった毒気のある部分を全て削除して作成した結果、面白味の全くない一篇となっている。少し、それに似たテイストが、パット・ブーンのロックンロールのカバーにはある。)
さらに考えを進めていくと、同じ黒人音楽を源流としながら、ジャズは白人社会への受容の過程でロックンロールほどの抵抗を受けていないのではないかと思う。もちろん、演奏者に対する理不尽な暴力がふるわれたことは同様である。ただ、白人のジャズ・ミュージシャンは、わざわざ演奏を「白人としての優雅な演奏」になどはしていない。さらに、ジャズの日本での受容は既に戦前に行われている。
1980年前後から'90年代にかけてヒットした舞台ミュージカルに「上海バンスキング」がある。僕は未見なのであるが、戦前の自由が奪われていく時代に上海で演奏を続けたジャズ・ミュージシャンを描いているという話は耳にしている。その中で使われた楽曲、「月光値千金」、「ダイナ」、「私の青空」といった曲は、僕は戦前の浅草で活躍されたコメディアン榎本健一氏が残された録音でも聞いたことがある。
とすると、大衆的ではあるが、お洒落な側面も持った音楽ということになる。
黒人音楽をルーツとするジャズに関して、何故本国アメリカではロックンロールのときに吹き荒れたような反感が生まれなかったのか。それについては、僕は詳しくない。だから、以下に述べる話は推測である。
初期のジャズ、ディキシーランド等は、基本的に労働歌や慶弔の際といった神への関わりのある場で歌われた楽曲がベースになっており、白人にとってはどこかで耳にしていて、自分たちの文化を脅かすものという恐怖感は生み出さなかったのではないだろうか。
ただ、ジャズが徐々に先鋭的になっていく1950年台辺りには、やはりジャズが不良の温床という意見もあったようだ。
この頃のジャズについては、ボリス・ヴィアンという方が「僕はくたばりたくない」(早川書房、「ボリス・ヴィアン全集第9巻」)にまとめられている。ヴィアンは多彩な作家で、本名名義での小説には「日々の泡(うたかたの日々」)、「北京の秋」等があり、ヴァーノン・サリヴァンというアメリカの黒人脱走兵が書いたという設定の小説に「墓に唾をかけろ」等がある。また、音楽の演奏者でもあり、昔知人の部屋でヴィアンがジョン・コルトレーンを共演しているレコードを聴かせてもらったことがある。楽器が何であったかは覚えていない。また、ロジェ・ヴァディムの映画「危険な関係」には、役者の一人として登場している。
代表作ともいえる「うたかたの日々」はフランスで映画化されたほか、日本でも利重剛監督によって「クロエ」のタイトルで映像化されている。僕は未見であるが、岡崎京子氏による漫画化作品もあるそうだ。
ヴィアンがヴァーノン・サリヴァン名義の小説を書いたのは、アメリカの小説を翻訳するよりも手短に金が稼げると考えたからだという話を読んだ記憶がある。それにしても、どうして黒人の脱走兵が作者ということにしたのであろうか。ちなみに、本名名義で発表された詩の代表的なものは、インドシナ戦争の最中に発表された「脱走兵の歌」がある。
「僕はくたばりたくない」は、ヴィアンの詩作群と、ジャズ評論等をまとめたアンソロジーである。ここに収められたかなり熱狂的なジャズや初期のロックンロールに関する散文を読んだのは、もう三十年以上前。詳細は忘れてしまった。その中では、若者を熱狂させる音楽を危険視したがる古い世代に対する抵抗がにじみ出ていた気がする。(この項終了)
2024年 6月 4日