「俺のオープンマイク奮闘記」TASKE

2022年03月27日

今夏で30周年を迎える表現活動の約半分を共に過ごした、今年の秋で15年目を迎えるオープンマイクイベンターとしての顔について。

勿論、自分自身は表現活動をメインにしてるけど...

それまで音楽、お笑いをメインにライブ活動してて、朗読と言えば吉増剛造さんの「路上バンドに会った日に、神は、ドイツへ行ってしまった」を全国何ヶ所かのライブハウスとかで読んだ位しかほぼ朗読経験のなかった俺が、徐々に詩人と呼ばれる方々の集まる場所でもご一緒させて頂くようになる。

数年間、各種オープンマイクの楽しさやスラムで何度か優勝した喜びなどを一通り味わい、その想いと共にジャンルの壁を越えて、より多くの方々と共有したいと思い、詩人としての自負や恩返しも兼ねて2007年11月より今まで歩んで来た人脈を駆使して、手探りながらオープンマイクイベントを企画するようになった。

それにしても、オープンマイクって何?
単なる自己主張の場?
人生?それとも、人間関係?
未だに答えを見出せないでいる。

オープンマイクとは、基本的に店のマイクを飛び入りの客に開放し、音楽の演奏や歌唱、詩の朗読、寸劇、お笑いのネタ披露、手品、紙芝居などのパフォーマンスを行えるイベントの事で、受付で入場料兼参加費を支払えば限られた時間内ならステージに立てる。

始まりは「Flower Gold Art Words」

何年か武蔵野地区を中心に展開した後、殻をぶち破りたいという思いから移動式になり、今や色んな場所で開催。コツコツと100回以上続けてるオープンマイクイベント。金(きん)のように輝かしく華やかな芸術と音楽の融合を目指し立ち上げた花金エンターテイメント。

タイトルも当初にお世話になってた武蔵小金井の今は無き会場の名前「Free Space ART LAND」に似せてみた。

もともと2002年、かつて活動10周年を迎えた時に当時お世話になってた仲間達の協力もあり、人生初の小さな個展「俺の小京都・夏物語」を京都市内にあったカフェギャラリーで実現し、成功させて似たような展示を高知や東京でもやって来た経緯に由来する。

なので、「FSAL」で「FGAW」をスタートさせた当初はそれこそ芸術家さん達の1日展示場の中で詩人さん達に朗読して頂くような感じで、其処から現在に至るまでに形を変えながら続け、唯一、今でも続けてるのがエントリーや純粋なお客様、店の方々に出来る限り書いて頂いてる当初の名残りである芳名帳。

勿論、他にも10年以上続けてる「歌舞伎町の詩人達の集い」などのオープンマイクイベントでは芳名帳まで持参しない。

軽々しく詩人と名乗ろうが名乗るまいが、そんなちっぽけな事であーだこーだ言ってても始まらない。
俺は1996年に京都で世話になった先輩から「KING of POEM」というニックネームを頂いて以来、その名前も大切にしながら活動してる。
世の中には朗読詩人もいれば吟遊詩人もいるように俺も詩人なんだよ。

考えるな、感じろ。
要は自分の言葉や表現に責任持てるか。
周囲に対して配慮も気遣いもない奴は、詩人以前の問題だと思う。
幾ら表現がよくても、中身の人間が伴ってなければ話にならない。

そりゃ滑舌悪いし余り上手く言葉が纏まらず喋れない事もあるけど、出来る限り朗読にせよ歌にせよ頭の中を整理した上でステージに立つのだから特に大多数の健聴者の皆様には聴いて貰いたい。
自分も聞き取り能力が低下した形の難聴だけど、耳栓付けたり外したりしながら出来る限りエントリーして下さった方々のパフォーマンスを聴いてる。

オープンマイク、皆それぞれ
公序良俗の許す範囲でなら
その時々にやりたい物をやればいい。
でも出来れば、朗読メインなのをやりたい。

ありのままを受け入れる、という当たり前。
来る者拒まず、去る者追わず。
だけどある程度のジャンル分けも大事だと、最近やっと思えるようになった。
人それぞれが持ってる、伝えたい想い。
出来るだけ、誰も排除しない。
難しいけど、時には断る勇気も必要。
誰々が誰々と共演NGだとか、この日はどんなイベントにするかとかも考慮しなければならなくなった。

あと音的な問題について、意識的な違いにもよるけど基本的に静か目な朗読メインの方々と五月蝿いフルボリュームなバンドやノイズ系な方々の多いライブを同じ日に組むのも如何なもんかと...

時間を離らかせれば済む話かもだけど、それでも途中で帰るお客様は出て来るだろう。
ま、それぞれの都合もあるだろうし、悔しいけど否定はしない。
自分も聴覚過敏があるし、耳栓を常備してる位だから何となく気持ちはわかる。

全体のバランスを考慮したりするのは難しく、なかなか其処まで頭が回らない。

何方にせよ、事前エントリーも募ってる時点でブッキングイベントに近いかも知れない。
でも希望者が幾人かいるだけでも有難い事。
人間関係、いつだって選ぶ権利は己にあるという意味合いも兼ねてるのかも。
また予定タイムテーブルを決める時に、それぞれ事前にエントリーして下さった方々の都合も考慮したりと色々疲れる事がよくある。

偶に人生相談にまで発展したりするのは兎も角、それよりもトラブル。

言葉は時として刃物にもなる。

それに数年前までSNSでの誹謗中傷が軽く見られていた時代だったし、まだ高次脳機能障害と診断されてなかった頃から自身の活動と共に企画を手掛けてた事もあり、交通事故の後遺症や難聴で聞き取れない理由を説明するのにも手間取ったり、時効後の家の未解決事件の後始末や面白半分な野次馬共に足を引っ張られてる事などに対する差別、偏見、要らぬ余計な先入観を持ってる方々とのコミュニケーション程、厄介なものはない。

俺だって出来る事なら引き摺りたくねえわ。

また多少知識やテクニックがよかったり滑舌がいいからと過度のプロ意識に自己陶酔し、お高く留まってるような方々も人間としてどうなの?と思う。

性格の不一致、それを感じさせるような人々は生きてりゃ誰だってちらほら見かけるけど、俺も出来る限り音信不通になるような方々はスルーしなきゃ先へ進めないし、ストレス社会を生き抜く為、自身のステージをより高める為、私生活を立て直す為にもいつかイベンターや活動辞める覚悟で挑んでる...

2020年、新型コロナウイルスが日本へ上陸。
色々な歯車が狂い出す。
世の中の流れだったり、
当たり前に出来た事が出来なくなった。

ライブハウスの時短制限や営業自粛などでイベント企画自体やりにくくなるも、何とかコロナ禍と戦いながら続けて来れた。

正直、まだまだ収束してもないのにやる意味あんのか?と思う時がよくある。

今までも緊急事態宣言が出たり、開催を予定していた会場で濃厚接触者が判明したなどの理由により直前や当日中止、色んな事が積み重なってか一時はイベンター辞めたくもなったけど、何処にも居場所のなかったあの日に比べたら屁でもない。

それに俺企画のオープンマイクにエントリーしてくれる方々も少なからずいる。

寧ろ今だからこそ、海の向こうで戦争が始まったとか何かと荒れた世の中だからこそ、俺もそうだし気落ちした人達が出来る限り自由に表現出来て、思いを吐き出せる居場所を作り続けながら共に高め合いたい。








TASKE