「叙景詩への挑戦」奥主榮

2024年12月23日

 学校の教科書の記述のような類型的な分類で恐縮なのだけれど、詩は大きく分けて「抒情詩」、「叙景詩」、「叙事詩」の三つに大別できるという考え方がある。そうした見解への異論は、ここでは述べない。
 いうまでもないことだけれど、抒情詩は人間の心の動きを詩として謳いあげたもの、叙景詩はそうした個人の主観は排して目の前に見えるものだけを描写したもの、叙事詩は歴史的な事件などを場合によればとてつもない長さで描いたものとされる。

 現在発表される詩作品の多くは、抒情詩として分類される。世間様でときに「ポエム」と揶揄されるような作品は、この範疇の作品である。「イリアス」「オデッセイァ」や「平家物語」などに代表される作品群をからかいの意味を込めて「ポエム」と口にする方は、おそらく皆無である。概ね軽率な批評や感想を無検証に口にする輩は、何か圧倒的に感じるものに触れると、尻尾を巻いて逃げ出すものなのである。

 僕は極めて感傷的な「ポエム」から書き始めた人間である。小学校の頃に、宮澤賢治や島崎藤村の作品に触れた。音読したときの音の響きの美しさに魅せられた。そうした作品群に描かれる抒情を、感傷的な「ポエム」と見下す方々がおられるなら、僕は堂々と見下される列に加わりたい。中学校の頃に教科書で読んだ立原道造の詩も、僕は今も大好きである。
 同時に、そうしたメインストリームとも言える詩の流れとは無縁のものにも魅せられた。例えば、小学校の音楽の教科書で出会えた一曲の唱歌。「冬景色」という歌の歌詞である。「さぎりきゆる みなとえの/ふねにしろし あさのしも/ただみずどりの こえはして/いまださめず きしのゆめ」といった歌い出しであったと思う。後に、明治時代であったか大正時代であったかに音楽教科書に掲載された、作者不詳の作品であると知った。難しい文語表現を、教科書に出ている注釈で補い、ようやく意味を理解した。早朝の霧が消えていく水辺の風景。停泊している木造の船には白く霜がはりつき、辺りには夜明けとともに目覚めた水鳥の声だけが響き渡る。しかし、船の持ち主である漁師の目覚めはまだ遠い。そんな意味を、必死になって読み取った。さらに、この歌の全体の構成は三部構成で、一日の中での時間帯を朝・昼・夜と変え、天候や季節も変えて描かれていることを、大人になってから知った。
 暖房設備も十分ではなかった時代に、小学生の僕はこの歌を知った。いや、作品が成立した年代からは一世代以上離れていたのかもしれない。ただ、風景だけを描きながら僕にも感じられる、身体の感覚として冬の気配を描いた作品に魅了された。今でも、叙景詩として見事な歌詞であると思っている。そして、名も残さなかった作者への圧倒的な敬意を抱いている。
 そんな僕は、やがて、サトウハチロウの作詞になる「小さいあきみつけた」という歌にも出会う。この歌もまたただ風景だけを描いているのに、胸をかきむしるような郷愁へと誘う歌であった。見たことはないはずなのに、どうしてだか僕もまたそこに居合わせて目撃していたかのように描かれていく風景。感情表現はされていないが、僕にとっては自分の抒情を掻き立てられる歌であった。子どもの頃にこうした歌に触れたとき、僕は「叙景詩」なんぞというジャンルは知らなかった。見たこともない「むかしの むかしの かざみの とり」や「おへやは きたむき くもりの ガラス」といった言葉に、想像力を刺激された。

 ただ風景だけを描くことによって、作品の受け手の中に生まれてくるもの。そうした圧倒的な力に、当時の僕は無自覚であった。
 自分の主観を交えずに、風景だけを叙述すること。そうしたことの意味に気がついたのは、大人になってから自分自身がさんざん抒情詩を書き散らした後であった。ちなみに僕には、抒情詩以外の作品を書きたいという願望が強い。出来不出来は別として、現在でも描き得る叙事詩というものに魅せられている。完成した作品も未完の作品もあるが、もう数十年叙事詩にも取り組んでいる。(発表する機会は、余りないが。) 誰もが試みている表現から漏れ落ちた隙間に、自分を置きたいというのは、僕の人生の中の一貫した課題だ。
 凡庸なことを書いて、申し訳ないと思う。表現者は誰も、先人が未踏な場所を目指すものであると、僕は考えている。詩という表現がどのようなものであり、作者という意図的な立場から何を実現していくのかという現実に対して、多くの詩人が真剣に向かい合っているのだと思っている。そうした血のにじむような努力の中で、僕が過去の遺産を模倣し、屋上屋根を重ねるような行為をしていることに対しては、とても申し訳なく思っている。そうしたジレンマを意識しながら、一方で過去に描かれることの皆無であった何ものかを生み出したいと葛藤しているのだけれど。

 叙景詩を描いてみたいという僕の最初の動機は、情緒を排した世界でそれでも溢れ出してくるものはあるのかという、そんな好奇心に過ぎなかった。
 基本的には、ただそれだけの出発点。でも、だからこその僕の「叙景詩」への挑戦は、企画を進めるにつれて、徐々に異なる様相を見つけつつある。
 スタートラインでは見えていなかった、描くことの意味が、下書きを進めていく段階で徐々に新しい様相を見せていくのである。

 一人の人間が、自分が目にしたある景色を描くということは、同時に「今、この時代の中で、作者がどのような風景を、何故選ぶのか」ということと突き合せられることでもある。下書きを書き進めるにつれ、そんなことを意識させられるようになった。誰かが何かを選び、あえて記述するということ。そのことそのものが、他の誰かに代替不可能な行為であるのではないのかという、そんな考えに最近の僕は囚われている。

 夥しい日常の風景の中から、意図的に描く価値のあるものを選別するという行為は、傲慢で不遜なものかもしれない。(しかしそれは、特定の感情を取り上げて、場合によれば煽りたてるような行為になることに無自覚なまま、感動を垂れ流すだけの作品を書いてしまうだらしなさよりはマシであろう。) そうした、創作者の傲慢さと対峙しなければならないという不安を抱えたまま、作家としての自分と、剥き出しで相対すること。そう、創作者というのはいつでも自分が日常の風景として目にしているものの中から、何かを排除することで表現を成立させているのである。情動的なものを退け、叙景に徹することで、実は作者にとっても意識されていない抒情と叙景の境界を超えていくこと。
 叙景のみの描写に徹するということを通して、その意味を理解しない相手に対してもまた、正面から向かい合うこと。
 そんな意味で、叙景詩の可能性というものを感じ始めている。

 表現という行為に対して、鋭敏であり、同時に意識的であること。けれど、けして特権的ではないこと。表現活動とは、特異な行為なのではなく、誰もが内在している何ものかを明確化する行為に過ぎないのだと、僕は思っている。

 四十年以上前に、カート・ヴォネガットの本を読んでいて、初めて「坑道の中のカナリア」という比喩に出会った。それ以降、この引用は無制限に複製されていく。けれども、自分の存在意義に無自覚なカナリアというのは、在り得ない。自分がどのような立場を選んだのかを自覚していないカナリアは、ただ警告という名前の囀りをくり返すだけである。
 何かを描くという行為は、ときには無自覚なままに他者を傷つける。だからこそ、作者という存在を前提にして、自分がどのような立場から表現活動を行うのかということに対して、意識的であらねばならないのではないだろうかと、そう思う。

 たかだか「叙景詩」をテーマにしただけの企画を考えているうちに、いろいろなことが頭をよぎっていったので、書き残しておこうと思った。
二〇二四年 一一月 二二日





奥主榮


2025年3月9日(日)、阿佐ヶ谷の「よるのひるね(夜の午睡)」で、「叙景詩」をテーマにした朗読会を開催します。詳細は、後日公開させていただきます。