「接吻/分離」ヒラノ

2022年01月22日

よくある話である。第一次世界大戦が差し迫った19世紀の終り頃、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ等を擁する「ウィーン分離派」が発足する。

「それが芸術?」
「それはポルノだろ?」

これも現代でもよくある話。憤慨するクリムト。クソ老害共を筆で黙らせる。
野心的な挑戦と革新的な表現、飛び交う誹謗中傷を妄言とし、取り合わず、仲間と突き進む。そして、既存の「芸術」という概念から「分離」するという事を自ら選ぶ。

「どこがポルノだと?」
「愛だろ?ロマンスなんだよ!」

彼らはいわゆる印象派と呼ばれる画家達よりも恵まれていた。自分達のホームグラウンドを手に入れる。支援により独自の展示スペースを獲得する。結果どうなったのか?自らの作品を展示する会場自体もデザインすることが可能となった。さらに絵画だけでは無く、椅子やテーブル、ランプまでもデザインする複合的なクリエイティブ集団として存在することになる。

第1回のウィーン分離派展、その開会式には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が直々に訪問。この年、分離派の機関誌として発刊された月刊「ヴェル・サクルム」(ラテン語で「聖なる春」の意)の創刊号には以下のような理念が記された。

「われわれはもはや「大芸術」と「小芸術」の相違を知らない。富者のための芸術と貧者のための芸術との相違を知らない。芸術は公共のための富である。」

事実上の宣戦布告である。マンネリ化したパトロンと作家だけの自慰行為に中指を立て、「いいか?見てろよ!こうするんだよ!」と芸術には無縁の人達の感性をしごきあげ、指を入れようと試み始めた。ウィーン分離派のその規則にある目的、「オーストリアにおける美術の関心の普及、とりわけ美的感覚の高揚に資すること」これは自己満足の領域では収まらない展望だと思う。

彼らは絵描き集団、という括りでは無く、美術・工芸運動で、それはムーブメントであり、「生活と共にある芸術」を墓標としました。少し傲慢な気もしますが、「ウィーンのみんな!オーストリアの皆さん!あいつらはダサい!俺らが本当にセンスの良い物を見せてあげるよ!」そういうスタンスで作品を発表していった。彼らが素晴らしいのは積極的に他国の芸術家もピックアップし、発信し、そして「彼らも素晴らしいけど俺らのだってイケてるだろ?オーストリアだってイケてんだよ!」と尊敬を持った上で戦いに臨んだ事だと思う。イギリス、フランスの作品、日本の浮世絵だってそれに含まれている。作り、続けて、それを続けて、戦い続けてさらに研磨してゆく。クリムトの代表作である『接吻』、あれも日本の金屏風がその制作にインスピレーションを与えている可能性もある。背景が金色の西洋画って『接吻』以外に思いつく作品ってありますか?

そして彼らは非情でもあった。日本の新国立競技場のデザインの選抜であったり、日展だったりで露呈した「コネ」の存在。彼らはコネクションが跋扈し団体の質が下がることを嫌がり、展覧会の作品の選出にも過去にない組織体制で「情」を排除した。




「詩を書く」という事は「世界を描く」と同義だと僕は思います。
僕から見える世界、あなたが見ている世界、
同じ国、同じ言葉、同じグリニッジ標準時、




だけれども、違う
そんな事もあるでしょうし、それが正常

それでいて共感・共有が出来る「何か」
僕が知る限り世界を描く人達の多くの人がその「何か」を痛みや苦しみに求めがちだと思う
花の美しさを愛でるような言葉は現場で聞いた覚えが無い
身体的苦痛では無く、対人関係における心理的負担をこれ見よがしに振り回し、凶器のような狂気
そのシルエットは釘バットみたいな
そう、だってインパクトが強いから振り向いてもらえる

そう思ってませんか?

あなたが、あなたの言葉を高らかに読み上げる時、ヒステリックな言葉が並ぶ時、プリントアウトされたテキストが床にひらりと落ちる時、
その時、
僕が不安を感じていること、知っていますか?あなたを心配してしまう事を知っていますか?
それとも僕の心を弄んでいるのですか?

あなたは自分の性器から染み出た体液を指ですくい、その指で目尻に涙の線の引く

「それが芸術?」
「それはポルノだろ?」