「晴天の詩学11― 「現代詩とは何かー答える」シーズン2 締め切り」平居謙

2023年08月01日


詩を書く人にとって締め切りとは何だろうか。


締め切りに追われてホテルで缶詰になって大作を仕上げる、なんていう流行作家の図があるが、詩人でそんなことをさせてもらえる人は滅多にいないだろう。そもそも詩の出版社は、ホテル代金どころか、原稿料を出すところさえほとんどない。


しかし、ホテルに詰めようと、自宅の部屋で困ろうと、締め切りは無情にやってくる。そしてその中に詩の本質はある。


今執筆中の本の中で僕は次のようなことを書いた。<これらの詩人たちについて、無限の時間があるならば、ゆっくりと時間をかけて研究をしてみたいと思う。しかし、考えてみるとそもそも、無限の時間があるとすれば、詩など存在しようがないのである。>まあざっと言えばそういうことを書いた。そして書きながら、改めて詩と時間について思ったのだ。


詩が常に問題とするのは、限られた時間の中で生きる存在についてである。それだから、別れ、すれ違い、奇跡的な出会い、誕生の喜び、死の悲しみ、そんなものが主題として浮き上がってくる。もし<永遠>がここにあるとすれば、いくらすれ違ってもそれこそ永遠にやり直せば必ずどこかで出会うことになるし、そんなことができるならば既に答がそこにある出来レース的な生を送るほか、われわれ〈存在者〉の道はないということになる。


締め切りの中にだけ、詩は存在する。もう少し時間があれば、いい詩が書けたのに、と言う人の姿は、もう少し人生が長ければ何とかなったのに、と悔やむ老人の言い訳に似ている。生き切った人は、たとえぼろぼろな身体になっていたとしてもそんな風には考えないものだ。





平居謙