「晴天の詩学3 ―「現代詩とは何かー答える」シーズン2 SO BAD!」平居謙

2022年12月01日


ずっと前、アメリカ人の同僚に、「友達の着ている服を見て〈それいいな!〉なんて言う時どういうの?」と尋ねた。彼はちょっと考えて〈SO BAD!〉だね、と教えてくれた。BADは良くない意味だけど、場面場面で反転させて強調に使うのかな。そう言えば日本にも悪友ということばがあるが、もちろん本当の悪人の意味ではない。


悪友の一人、大村青狼(と、ここでは書いておく)から先日ラインが来て吉増剛造の映画に行こうという。あれ?こいつ吉増好きだったかな?と怪訝に思い、でも誘ってくれたし久しぶりだし、帰りに飲みもできるしねと思って仕事放っポり出していくことにした。それで、昨日行ってきた。昨日は吉増本人もトークショーのために来場していた。映画は奇妙なもので、スクリーンに映し出された硝子板に延々と吉増が絵具で線を書きつけたり、ひっかき傷をつけたり、それに合わせて詩を朗読したり。背後で流れるロックバンド「現代空間」の音楽が素敵だった。左手につけているピンマイクに向かう時の吉増の様子は、新型コロナ期以降に広まった咳エチケットの姿勢に似ていて面白かった。当時すでに82歳だった吉増が、ここまで狂気に近い咆哮を発すること自体が驚異だった。詩集を読むことで作り出された虚像としての吉増剛造と、スクリーンの中にいる吉増剛造。そしてミニシアターの一番前の方にちょこんと腰かけて自身の映像を鑑賞しているちょっと可愛い吉増剛造。3人の吉増剛造がぐるぐると渦巻いて、奇妙な空間ができる。トークショーで感想を聞かれた誰かが「逃げ場のない感じ」と言っていたがまさにその通りだ。そしておれに限って言えば、悪友も一緒にそれを観ている。


吉増の第一詩集『黄金詩篇』はベストオMy Favorite詩集だ。しかしその後の吉増の詩集からは最初期のエネルギーが失われ、おれはずっと淋しい感じを持ち続けていた。朗読も何度も聞いたが、エネルギーを感じることはなかった。だから心の中ではさよなら吉増剛造、と何度かすでに呟いていた。ところが今回の映画は違っていた。エネルギーの放射がとてつもなく激しかった。青狼が声を掛けてくれることで、おれは偶然それに立ち会い、第一詩集を読んだときの熱狂にまた引き戻されたのだ。


大村青狼とはかつていろんなヘンなものを見に行った。金粉ショーさながらの前衛舞踏「白虎社」や京大西部講堂まえテント演劇「風の旅団」、彼の関係していた小劇団の舞台や、ある美術系大学の卒業公演等々。(おれが白虎社に入りたいと言い出した時は、珍しく真顔になっておれを止めた)その他諸々、ここぞというタイミングで悪友とは面白いものを観る。今回の吉増の映画もそうだった。絶妙。


前号で中村剛彦と金杉剛の間の詩的交友のことを書いた。それでは自分にとって詩的友人環境って何だろう、とぼんやり思っていたからだろうか、昨日の絶妙のことを書きたくなって書いた。「英語で、絶妙だね!ってどう言うの?」とあの同僚に訊きたくなったが、訊かなくても分かる気がしてきた。青狼も吉増も同僚もまとめて謝辞を述べておこう。SO BAD!