「晴天の詩学9ー「現代詩とは何かー答える」シーズン2 6月6日に雨ザーザー降ってきて…」平居謙
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僕はまったく雨嫌い。だから、雨が好きな人がいるということがてんで分からない雨が好き!って言ってる人を見ると蛙みたいに思います。人の気持ちが分からない、コミュニケーション不全なのかな?
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現代詩とは何か。数えてないが、この連載でそう問い続けてもう20回近くになるだろう。ちょうど20回目かもしれない。最近はゆるゆると問の周りをまわるようなことをしているから、たまにはストレートに攻めてみる。
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現代詩は、コミュニケーションと無関係。雨のことを好きだという人がいるなんてこと分からなくてもいいのである。雨が大好きな人は、雨嫌いは人の心を想像する必要がない。自分の世界を築くんだ。遠慮してはいけない。遠慮すると中途半端に陥って何の得もない。
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現代詩は、コミュニケーションと無関係と言ったが、もっと正確に言えば、本当のコミュニケ―ションを作りあげるプロセスなんだと僕は思う。表面で分かりあおうなんてことはせず、一心に自分のことを考え自分を知り自分で楽しみ、自分を磨き…を極めて行って、独立した自分を作るところに自信が発生する。一旦コミュニケーションを断絶して、その隙に自分の城を作りあげる。城を持った独立した人同士が自分の感性を披露すると、そこに刺激的なスパークが発生する。こんなこと僕が言うまでもないが。
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媚びたような詩―すなわちよく巷に出回っているような読者に〈きみたち!〉と語りかけているようなタイプのもの-は、詩かもしれないが、現代詩ではない。あれは何と呼べばいいのだろう。そうだ、人生処方箋、人生処方箋だな。処方箋は、悪くない。節目節目に必要だ。昔は居酒屋で、知らないおっさんが若造に教えたり、電車で走り回る中学生を爺が叱ったりした。銭湯で、掛湯をしない少女をどやすおばちゃんも居たはすだ。それで、語り掛ける詩はそんなもの。風呂屋の張り紙と同じものだ。ルールを知るためには大切だ。だがそれは人生処方箋に他ならない。
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詩はそれに比べると、雨の音に似ている。ザーザーと遠くで囁き、どしゃどしゃと屋根に突き刺さる夜はとても怖い。意味なんか伝えて来ない。その中で静かにして、一人できき耳を立てるものだ。その中で、自分で答が見つかるんだ。雨が嫌いでも、構うこんか!
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6月6日に雨ザーザー降ってきて…という絵描き歌がある。あんなものには、意味がない。教訓もなければ、処方箋の役目も負わされていない。一本の棒が可愛いコックさんになるという、実にナンセンスでくだらない歌だ。だから現代詩なのだ。現代詩には、悪い面もたくさん言われて来たし、実際つまらない作品も山ほどある。しかしそれはつまらない人がたくさんいるのとおんなじである。中には意味は全くないが、それを読んでいるだけで、生き延びることのできるものさえ稀にあるのだ。
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雨がザーザー降っている。全くの雨嫌いの僕には、可愛いコックさんの歌が支えである。意味がないから支えになる。現代詩とは何か。とりあえずそれが、答えだ。