「書けない」優城貴子
1年半くらい前だろうか。
2021年9月末。馬野ミキさんから連絡をもらった。
久しぶりだった。
無力無善寺というライブハウスで共演したのが2020年9月。三上寛さんの出演の日だった。
その日は、高円寺に着いてから、履いてきた靴が突然、途中でボロボロに壊れて歩けなくなった。本当に前に歩けなくなったので、近くの靴屋までなんとか靴というか足を引きずって行き、靴を買った。
馬野さんは、高い声がかわいらしくて印象的だった。いか釣りの話を少しだけしたのを覚えている。この日、「テトラポットでシンナーを」という曲を聴いて以来、テトラポットを見るたびに馬野さんのことを思い出すようになった。
馬野さんのことは、無善寺で売っている季刊誌の雑誌「東京荒野」を読んで知った。その日は編集の人も来ていて、最新の東京荒野が開封されて出されていて、すごいなと思った。
そのあと、11月に一度、馬野さん主催の無善寺の詩のオープンマイクに行って、一瞬だけ会った。
途中から入ったら、たくさんの人がいてびっくりした。
馬野さんは、精神障害者チーム対、知的障害者チームのサッカーの試合の詩を朗読していた。その内容の力強さと合わせて、ラップみたいな語り口調と、全身で力いっぱい語る姿に驚き、引き込まれた。
私は、怯えながら、好きな詩を二つ朗読した気がする。
メッセージをもらったのは、それから1年近く経った頃だった。
なんだろう、と思った。
そしてメッセージを開き、驚いた。
抒情詩の惑星という詩のサイトを立ち上げているということ。それから、よかったら一文寄稿頂けないでしょうか、と書かれていた。
びっくりした。
そういえば、馬野さんは最近、私のツイッターの過去の投稿文にハートマークを押してくれていた。文章を見てくれていたんだ、と思った。
嬉しい。
でも、どうしよう、と強く思った。
何か送りたい、とも思った。
でも、書けない。
そうだ、「強制的反省文」の歌詞をそのまま送ろうか、と思った。
でも違う。それは違う。歌詞を送るのは違う。そう思った。
新しく書く。
その選択肢は私にはなかった。
できなかった。
書けない。
そう思った。
どうしてそう思ったのか、うまく説明ができない。本当にうまく説明ができない。
でももし、ブログを毎日何年も更新していた頃に同じ話をもらっていたら、どうだろう。
私はすぐに返事を送ると思う。「書きます!」と。
むしろ、そんなふうに誰かに声をかけてもらうのを待っていたところさえある。
なのに今は書けない。理由はうまく説明できない。
でも、書けないということは明白だった。そしてその理由を相手にうまく説明する能力さえ持ち合わせていない。
どうしようどうしようどうしようどうしよう、と思った。
「明日にでも詳細お知らせしますね」という文章を受信してから、翌日馬野さんからその詳細が送られてくるのを待たずに、私は返事を送った。
「ありがとうございます、ぜひ書かせてください」
そう書くだろう。そう書きたいところだ。そう書くと思う。そう書ければよかった。
それなのに、なんとも歯切れの悪い一文を書いた。
「ありがとうございます」
そこまではよかった。自分も相手も傷つけない一言だった。
そのあと、
「うまく言えないのですが、自分は書けないので申し訳なく思います」
などと書いた。
今思うと、詳細が送られてくる前に断るなんて失礼なんじゃないかとも思う。でもこの時は、返事を遅らせることで期待をさせてしまうよりは、もう書けないことは明白なのだから、できるだけ早く断ったほうがいい、と判断した記憶がある。
ああ。
申し訳ない。ただ、申し訳ない。断ってしまったことが申し訳ない。さらに、まったくうまく説明できていないことが申し訳ない。あの一文からは、説明する努力すら感じられない。だけど、もうその一文がすべてで、それが本当に精一杯だった。
さらに、心なしか、こうやって声をかけられて断るのが、なぜか2回目のような気がする。
夢でも見たんだろうか。
たぶんそうだ。予知夢だったのかもしれない。
なんだか分からないけどその夢のようなもののせいで、二重の罪悪感のようなものに襲われた。
そのあと馬野さんから、「断る手間をかけさせちゃってごめんね」と、馬野さんはなにも悪いことなんてしていないのにごめんねなどと書かれたメッセージが送られてきて、さらに申し訳なく思った。
続けて、「貴重な視点だなあと思って声をかけさせていただきました」と、私のおそらくツイッターの投稿文に対する言葉までいただき、この上なく恐縮だった。そんなふうに思って文章を見てくれたことを、とても嬉しく思った。だからこそ、その思いに応えられなかったことが悔しく、残念だったし、申し訳なかった。でも、どうしようもなかった。
今さらこんなことを書くのは、書こうと思ったのは、先月、1月の終わりに、馬野さんのバンド、ゆにこーんゆにおんが主催する企画ライブが無力無善寺であり、そこで、ギター弾き語りの中村アリーさんが、抒情詩の惑星に投稿した文章を、自分で音楽に乗せて披露していたのを見たからだ。
アリーさんの文章は、抒情詩の惑星に掲載された時に読んでいて、その時も、書けることがすごいなと思ったけど、今またこうして目の前でその具現化したものを見ると、すごいな、という思いとともに、やはり書けなかった自分というものの存在を思い出し、とても悔しいと思った。
以前あんなにたくさんブログに文章を投稿していたのに、どうして今書けないのか。文章を書くことが好きで、短いものはツイッターにもたくさん投稿しているのに、どうして文章が書けないのか、考えた。
この、文字だけの世界でなにかを説明するということは、本当に難しい。
そうだ三年前、私が長年住んだ家を出る時も、とても大事なことを説明しなくてはいけなかったのに、その、一番大事なことは、結局言葉ではうまく説明できなかった。今もできない。無理やり言葉にすると、大きな誤解を産みそうだった。説明ができないことというのも、残念だけどあるんだと思う。もし全部が言葉で説明できてしまったら、この世界は言葉でできていることになってしまうような気がする。
それでもできるだけ分かりやすく説明すると、つまり私は、文章を書く人格を切り離してしまったんだと思う。いや、切り離されたのは私のほうなのかもしれない。多分そうだ。切り離された。もう、書けない。だからこれが最初の投稿であり、最後の投稿だと思う。
メッセージのやり取りの最後に私は、いなくなってしまう馬野さんの後ろ姿を追いかけるように、本当は伝えたいなにか大きなことを誰かに強く抑えられているような感覚になりながら、こう書いた。
「あの!ありがとうございました!」
それから1年2ヶ月後、2022年12月1日、自分の企画ライブで馬野さんと共演した時、当時の自分の苦しみと答えみたいなものを、ごくわずかな人にしか分からない暗号みたいな表現で、ステージの上から、小さく、そっと、伝えた。
2023.02.05