「私の詩集脳内会議」 河野宏子
大阪は数日前に梅雨入りしましたが、風が涼しい夕方です。
昼間は団地の中庭で、なんと蝉が鳴いていました。
さて、エッセイのご依頼ありがとうございました。
気になる箇所があればご指摘いただけると助かります。
エッセイを書くにあたって詩集のベストセラーを調べました
柴田トヨさんの詩集って200万部売れたらしいですね。
「くじけないで」は読んだことないのですが
世間が詩に求めているものってなんだろうか、
でもそれが自分の創りたいものでなければ意味ないんだよなぁ、
と考えたり。
あと中原中也賞の応募総数も調べて、年によってばらつきはあるけど
200〜300程度。刊行されている詩集だけが対象なので
このような数になるんだろうけど、これでは裾野は狭くなるばかりではないかなと思ったりしました。
賞金はいらないから出版と流通をしてくれる詩の賞があれば
もっと面白いものが出てくるんじゃないかなと、ずっと思ってます。
余談はこれぐらいにして原稿、
よろしくお願いいたします。
二十年ほど前、詩を書き始めた頃、詩のイベントに出演したり観覧したりで、年に何度も東京に行っていた。高速バスが発着する新宿駅を利用することが多かったのだけど、ある時新宿駅の雑踏の中で「わたしの志集を買ってください」と書いたプラカードを提げて立っている女性を見つけたことがある。あぁ、誰かのエッセイで読んだし芸人さんがラジオで話していたような気もする、本当にいるんだ。忙しない駅の人混みの中でそこだけ空気が違うような、私以外の人には見えていない不思議な生き物のような存在感だった。彼女が売っている志集の中身は詩、つまり詩集を売ってるとエッセイにはあった。実在した彼女と志(詩)集に興味はあったが、人波に流されるまま通り過ぎてしまったように記憶している。
自分の詩集を出そうかと考えるとき、私は必ず新宿駅の彼女を思い出す。
昨年の九月に亡くなった父との時間を「note(※ブログ)」に綴った詩が結構なボリュームになり、一冊の詩集にまとめるのにちょうどいいぐらいの量になった。一つのテーマでこれだけたくさんの詩を書けたのは初めてだったし今後もそうなさそうので、これはと思い、優勝すれば本を出版してもらえるのが売りの某コンテストに応募した。が擦りもしなかった。しかしながらこちらの「抒情詩の惑星」で取り上げていただき、今まで接点のなかった方にも読んでいただく機会を得た。もったいないぐらいの感想をいただいたりもして、この作品群は私の見えている範疇を超えて、知らないどこかまで旅をするべき作品かもしれないと考えるに至った。
インターネットは世界に開かれているのだから、ネットに書けばどこまでも旅をしてくれる、それはもちろんそうなのだけど、インターネットでは辿り着けない(でも潜在的には詩を求めている)「誰か」は確実にいて、それはネットを使っている/いないの区別ではなくて、単にネットで詩を読む/読まないの壁なのだと私は捉えている。その壁を別のルートから越えるために詩集を出版したい。コンテストに応募をした最大の理由はそれだったが、コンテスト以前から実は詩集を出したかった。その理由は他にもいくつかある。
まず一つめは前の段落で述べたとおりで、SNS的な繋がりが基盤のネットの世界とは違う、全く見ず知らずの誰かに届いてほしいと願ったから。おそらく出版社にもよるけれど、コンテストで優勝した作品であれば全国の書店に並ぶだろうし、Amazonなどネット市場でも流通するだろう。効果的な広告も出してもらえるかもしれない。そして二つめは、詩の賞は刊行された詩集が対象となっている場合が多いため、出版すればそこに応募するチャンスがあること。とはいえ万が一受賞できたとしたってすぐに詩だけで生活できるほど作品が売れるかといえばそういうわけでもないのが詩の界隈全体の現実ではあるのだけれど。そして三つめはいわゆる世間の目を意識してのことで、初対面で「詩人です」と名乗ると詩に興味のない方からはよく「本とか出されてるんですか?」と聞かれるのだ。「いえ......」と口籠ると相手は大抵がっかりした、あるいは気まずい顔をする。そこまで切り込む勇気もないので聞き返しはしないけれど、本を出していればそれなりに実績があるすごい人、そうでなければただの趣味(聞いた人の本心:あまり興味がないなー、聞くんじゃなかった)というところだろう。苦笑いを浮かべつついつも申し訳ない気持ちになるが、出版すればそこが少しだけ変わるんだろうな、とか。それから欲を言うと、もしかしたら出版されることで詩人としての補償みたいなものができて詩に纏わる仕事が増えるのかも、という淡い期待もあった。
「note」のコンテストで落選した私はやっぱり出版の夢を捨ておけず、自費出版を考えた。ネットで検索し、良さそうな自費出版社に作品のURLを貼り付けたメールを送る。見積もりは初版200部で30万円ほどで、正直、思っていたよりはずっと安かった。以前文学学校に通っていた頃の友人は70万円ほどかけて自費出版をしていたし、周囲の詩人の間ではそれぐらいのまとまったお金を掛けて(ある人は分割にするなどして)出版をし、友人知人に無料で配布するのが常だった。うちの書棚の一角にはそうしていただいた詩集たちがかなりの数ある。それが自費出版の現実、もちろん全て売り切っている人もいるだろうけれど、私の周りではほぼいない。おそらくレアなケースではないだろうか。見積もりをくれた自費出版社では新聞広告、書店への宣伝チラシ配布などの販促、Amazonなどネットでの流通も込みの価格だったので悪くないどころか破格に近い内容ではある、けれど時給1,000円で働いている私にとって30万円は分割であってもポンと出せる金額でないのが悲しすぎる事実だった。ちなみに30万円を回収しようとすると1,000円の詩集を3,000冊売らなくてはいけない計算になった。自費出版の会社はマージンを取ることで成り立っているため、まぁこれは仕方がないが、無名の詩人が実現できる数字だとは思えない、と当の出版社の人も言っていた。
自費出版も難しいとなると、出版は諦めて自分で印刷所にデータを送り冊子にする方法しか残らない。ありがたいことに、デザインや組版を職業としている友人たちが「手伝うよ!」と声をかけてくれる。とてもとてもありがたいが、その申し出が正直私はつらい。友人たちは平素そのデザインや組版で収入を得ているのだ。彼らが長年磨いてきた技術と忙しい日々の中の数時間、長ければ数日を私のために無償で費やしてくれるのはあまりに申し訳ない。もしも私が逆の立場だったら、売れるかわからない詩集のために時間と技術を費やすぐらいなら、その時間で確実にお金をいただける労働をするし、あまりに心苦しいから友人たちにはそうしてもらいたい。私自身が現在、誰かのために時間を使うよりも自分の懐を心配せざるを得ない生活だから痛切にそう願う。それに、いざ形にするとなればおそらく私は要求が高くなるだろうから、お給料も発生しないというのに何度も何度も試行錯誤ややり直しに付き合わせるとなるとそのうち人間関係が破綻してしまいそうな予感もする。過去に大きなイベントをするたびに、不本意ながらそのようなことがいくつかあったし、詩集を出すに当たってもまたそれが起こるかもしれないと考えると、もうしがらみの種を増やしたくない、と気が重くなってしまう。自費出版であれば金銭を仲立ちとした関係なのでその辺りは線引きが明確で気が楽かもしれないな、目の前に30万円あればな、と思考は前の段落にループする。
そうは言っても30万円なんて大金が突如降ってわくはずもなく、テレアポのパートで稼いだお金は息子のサッカー合宿代や友人への結婚祝い、そして息子にせがまれ続けているUSJのチケットの費用になるはずのものなので詩集には使えない。印刷のエンジニアをしている夫が組版をやってくれるというので舅の香典がわりとそこだけは甘えて、近所の印刷所で50部ほど刷り、親戚や友人知人に配っておしまいにしようか。それなら多分数万円でできる。父の命日は九月一三日だから、それまでに形にするにはその方法が最も現実的ではある。究極を言えば、父についての詩集はいつか私が死んだあとに息子が読んでくれれば良いのであって、書いている間もずっとそう思っていたのは間違いないのだから、出版して世間の人に買って読んでもらうのは私の高望みなのかもしれない。私は詩でお金持ちになりたいわけではなくて、詩集を出すことで赤字や在庫のだぶつきを産みたくないだけなのだ。それに本来私は、父の詩に限らず自分の詩は「詠み人知らず」になってどこかを漂って知らない誰かに出会ってくれればいいと考えている。日々の時給労働から抜け出したい気持ちとこの考えは、矛盾をたっぷり含みながらも不思議と私の中で共存する。
ここまでの一連の思考を私はこの4ヶ月ほぼずっと毎日繰り返している。そして最後にやっぱり、新宿駅で詩集を売っていた彼女のことを考える。壁も、しがらみも、マージンもない、一番シンプルな作品の売り方。街から少し浮き上がるように透けるように立っていた彼女とその詩集こそ、私が理想としている「読み人知らず」として世間を漂う存在に近いのかもしれない。
いっそ私も夫が組版してくれた詩集を抱えて、ごった返す夕方の梅田の駅前に立ってみようか。