「荒木田慧からのメール(2023年3月26日)」荒木田慧
3/10(金)の夜から新宿駅前で路上生活をはじめて、今日で16日が経ちました。
私のやさしい友だちの一人は心配して、「いやな事があったら直ぐに路上生活をやめて下さいね」という暖かい言葉をくれました。
16日経って今朝、小田急ハルクの前の路上で目覚めました。夜じゅうの雨で空気はみずみずしく、街はゆっくりと伸びをし始めていました。地下の自販機へコーヒーを買いに行こうかと寝床を抜け出すと、私の足元の毛布のあいだから、茶色い紙屑のようなものが見えました。きっと長い夜のあいだに通りすがりの誰かが、私たちが眠っている姿を見てゴミを投げ入れたのだろう、と私は思いました。
路上で過ごしたこの2週間ちょっとを振り返ると、いやなことなど何ひとつ起こりませんでした。楽しいこと、嬉しいこと、面白いことばかりでした。私は人のやさしさと愛に驚きました。出会う人出会う人、私が必要としているまさにそのときに、私が必要としている以上のものを、自ら私へ差し出してくれました。
財布に残った小銭をすべて東口駅前の募金箱、ライオンの口の中へ入れ、無一文になったら何が起こるか試してみようとした夜でさえ、そのわずか数分後には、路上で絵を描くおじさんが私の手のひらへ千円札をくれて寄越そうとしてくれたのでした。私は人の愛に驚きました。人をもっともっと信じたいと思うようになりました。
今朝、自分の毛布に紙屑を見つけたとき、私はこれは友人の言った「いやなこと」かもしれないと思いました。でもこの16日間に私が受けとった愛があまりにも強く大きかったので、このくしゃくしゃの紙屑も、私は喜んで受けとろうと思いました。
紙屑を拾おうと毛布に身をかがめると、それは紙屑ではありませんでした。毛布のあいだから現れたのは、小さな青い花束でした。それは私の着ていた青いフリースとピンクのパーカーによく合う色でした。
私は驚きました。この雨の夜のうちに、いったい誰が私たちの寝床へ花束を捧げてくれたのだろう?きっとその誰かは、また別の誰かからこの花束をもらい、荷物になったが捨てるに忍びなく、通りで眠っていた私たちの足元へそれを置いていってくれたのでしょう。
私は嬉しくなって、あとから目覚めた伊藤さん(路上生活を私に教えてくれた先生)へ花束を見つけたことを報告しました。伊藤さんは、「これは大事にとっておいて、あとで●●さんの死んだ場所へ供えよう」と言いました。
●●さんというのは、伊藤さんの友人のおばさんです。私は会ったことはありません。そのおばさんはホームレスではなく、一人暮らしの社員寮の部屋があったのですが、百貨店の食品売り場で朝から晩まで焼きそばやお好み焼きを作って売る仕事をしていて、疲れきって家へ帰れないときなどは、伊藤さんの仲間と一緒に路上で眠ることもあったそうです。
それがある夜、仕事帰りに新宿西口の地下の仲間のところへやってきたと思うと、苦しい、といって倒れて、そのまま救急車で病院へ運ばれ、帰らぬ人となったそうです。おばさんが亡くなったのは、先月の今日でした。働きづめの人生だったのではないかと想像します。おばさんのホームは路上にあったのではないか。だから路上の家族のもとで亡くなったのだと思います。
おばさんの月命日のまさにその日の朝、私たちのところへ花束が届きました。だから伊藤さんはそれをひと目見て、「彼女へ捧げよう」と言ったのです。おばさんが生前使っていたという毛布、私がくるまっていた毛布と同じ、優しいやさしい色あいの花でした。
路上にはまちがいなく神さまがいます。私は無宗教者ですが、汚れたアスファルトに座ったとき、私には前を通る人みんなが神さまに見えます。
私は今日、いったん群馬へ帰りますが、また路上へ戻ってこようと思います。神さまに会いたいからです。もっとたくさんの愛に触れたいからです。私は欲張りなのです。
あたたかい励ましをいただき、感謝しています。ありがとうございました。