「記憶に寄り添う――夏野雨詩集『運搬のフィギュア』(私家版)を読む」ヤリタミサコ

2024年11月06日

 2023年10月の前詩集『雲のからだ 海のからだ』に続いて、1年後の今年も新詩集が出版された。軽やかで手に取りやすい詩集のスタイルを継続している夏野は、マイペースを貫いている。
 詩集を出版するということにはいろいろな意味でカクゴが必要だが、夏野にはそのような気張った姿勢がない。詩壇に向けて発信しようとか、賞を目指すとか、自分の立ち位置を示そうとか、そういった欲からは遠いところで詩を楽しんでいる夏野は、ただひたすらに詩を書き、読者に届けたいのだろう。すがすがしいスタンスだ。
 詩集タイトルの「運搬のフィギュア」の冒頭部分と最終部分を中心に引用する。


   横断歩道が切り取り線になって
   街を離れさせていく
   (・・・)
   ドアの向こうに季節は広がる
   私たちは移動している
   地面は一日のうちに幾つもの図形を描いては消す
   (・・・)
   誰にもゼロのカウントがある
   離れ離れの街を縫う
   赤ん坊バス
   見えない臍の緒を
   御して
   進め


この詩のあらすじとしては、世界は切り取られて遠ざかりまた再統合され、星々は回転し、カットされた髪も伸びるし、妊婦のおなかの胎児はゼロから髪が生えてくるし、死ぬ命もまた循環して生れていく、という内容だ。時間と共に外界は変化していき、幻滅や喪失や消滅を経て流転し再生していく、というような達観かもしれない。残酷な現実が人間を痛めつけることもあるが、分断と断絶を経ても断続しながら継続していく人間の営み。未知の外界へ押し出される赤ん坊、そして未来への不安を持つ人すべてに対して、「見えない臍の緒」という生命の連鎖を信じて進みなさい、という励ましだろう。希望がつなぐ何かがある。
 人と人、あるいは記憶と人のつながりが的確な描写で書かれている作品がある。「弓弾く人々」から引用する。


   (・・・)
   骨の中で人は言った
   胸郭や頭蓋を運び
   守られて立つ姿のままで
   人も音のうつわみたい
   魂柱は身のうちにあって
   うすく挟まれている
   合間をあかるい水が流れていく
   重力のほうへ
   それから心臓が
   押し出す精緻な時刻のほうへ
   (・・・)
   古い魔法よ
   弦を弾くとき隣の楽器も共振して弦が揺れる
   たとえ弾いていなくても
   記憶の手が肘を持つ
   (・・・)
   歌え
   物理の
   見えない幽霊


人間とコントラバスの似姿、見えないけれど明るい水がどちらにも流れていて、隣に人や楽器が実在するかしないかに関わらず、感覚的には他者や他の楽器と共に歌うことが強調されている。すでに亡くなっている人やかつて存在した楽器は、現実には不在であっても、心で歌う詩の基盤に重要な位置を占めている。作者もまた、記憶の誰かの思いを自分の体に響かせる喜びを感じている。
 夏野の前詩集でも、死と生の輪廻のわずかな隙間に見える詩、日常と非日常の挾間にあるヒューマニズムが意識されていた。今詩集では、その発展と展開が感じられる。ありふれた日常生活での一瞬に小さな永遠を見ている夏野は、鼻歌でも歌うように、何気ない手つきでそれを差し出す。「雹の年輪」という詩はタイトルでも瞬間と無窮が重なっている。


   (・・・)
   雲の中で雹は落下と上昇を繰り返し
   年輪を蓄える
   (・・・)
   たとえば消滅飛行機雲の
   一途な青い航跡が
   心臓に薄い裂け目を入れるとき
   人々の雹は降る
   (・・・)
   記憶の掌に清冽な花の輪を滴らせては
   消える


人間の眼前に出るまでに、「雹」(いろいろな感情の象徴として読むことは可能)はエネルギーを蓄え、何かのきっかけで出現する。予期せぬ悪意や攻撃や惨事に出会って呆然とするとき、見えなかった心の雹が降り出してくる。そして人間をクールダウンさせて、白い花のように落ち着かせてくれる。夏野独特のヒューマニズムの表現だ。そして、消え方がなんとステキなことか!エンパワーでもなく、慰めでもなく、記憶に寄り添う静まり方。その時何かが変わり、でも何も変らず、記憶だけが残る。夏野の詩もまた、書かれた記憶と読者自身の記憶が入り交じって、新たな記憶として保管されていくのだろう。





ヤリタミサコ