「遠くに届ける方法はどこ」 河野宏子

2023年02月04日

芸能人は簡単に本が出せていいなと思う。腕のいいデザイナーによって綺麗に装丁され、書店のいい場所にたくさん平積みされ、あの手この手で人の目を引く広告が打たれ、SNSで拡散され、ダメ押しみたいに別の有名人の帯文つきで、衝撃的な自伝や小説や絵本や美容本が、全国のその本を必要としている人の手元に運ばれていく。

わたしは先月やっと、亡き父のことを書いた詩のまとまりを詩集にした。本と呼ぶには心許ないぐらいの、ネットの印刷サービスを利用して作った白黒印刷の冊子を詩集として、即売イベントや小さな個人ネットショップで販売し始めた。簡単、といえばわたしの詩集もとても簡単に作られてはいる。印刷エンジニアをしている夫に組版と表紙のデザインをやってもらった他は全部、入稿も販売も宣伝も出荷も素人のわたしがやっているのだから、難しいことは何もない。ただ当たり前に、無名なので数が売れない。お買い上げいただいたのは、ほぼほぼ顔と名前の一致する友人知人、親戚、あとはこの「抒情詩の惑星」やわたしのブログで詩を読んで気に入ってくださった方たち。最小ロットで刷った詩集はまだ依然として半分以上が在庫としてわたしの部屋の段ボールの中。ほぼ毎日のようにSNSで宣伝はしているけれど在庫は数日に一度動くかどうか。このまま半年も経ったら押し入れにしまわざるを得なくなるかもしれない。せめて印刷代だけでも売ってしまうことができたら、新しい詩を書くなりなんなり、次のことを考えられるのに。

手前味噌だけど内容は良いのだ。普段詩を読まない人にも読みやすく、身近な人を亡くした誰か、顔も名前も知らない誰かの気持ちに寄り添える詩集だと自負している。冒頭に挙げた芸能人の本みたいにわたしの詩集も、綺麗な装丁をしてプロが広告を打ってくれたら。好きなミュージシャンや俳優が帯文を書いてくれて、Amazonで1クリックで購入できたり、オススメにあがるようになっていたら。朝一番、事務のパートの出勤前には必ず、ネットショップの注文を確認する。注文が入っている日はレターパックに詩集を封入し感謝の気持ちを添え書きする。雨で濡れないようにポストに投函しながら、どうやったらわたしの詩集は、もっと遠いところへ旅に出るのだろうと考える。

話は少し逸れるが、わたしは予てから詩集は音楽アルバムや映画と似たようなものだと思っている。好きな人ができたらラブソングを聴くように、リフレッシュしたいときにコメディ映画を観るように、詩にも読まれるべきタイミングがあって、どんなに素晴らしい詩集であってもそのタイミングでなければ刺さりづらいものだ。そのタイミングにわたしの詩集に出会ってもらうのに、販売される場所は書店だけで良いのか?と疑問を抱いている。そんなことを考えながら通勤経路にある大きな葬儀場の前を通る。ここのロビーで詩集を手売りしたらどうなるだろう。今、近しい人を葬いに喪服でこの葬儀場に集まっている人たちがわたしの詩を読むことにより何かしら受け取ってくれるような気がするからだ。実際にやってしまったら新興宗教の勧誘か何かと思われてガードマンが飛んでくるだろうしそんな度胸はないからやらないけれど、お寺や仏具店、生花店、墓地や教会にわたしの詩集が置かれていたとしたら、わたしのことを1ミリも知らない誰かが手に取ってくれる確率は書店よりも高いかもしれないと、よく妄想する。亡くなった人を想い、そこから自分の今の生に立ち帰るタイミングにいる人たち。顔も名前も知らないけれど、去年の、父を亡くした直後のわたしに似た気持ちを抱えている人たち。

とぼとぼと出社して、今日も淡々と事務の仕事に取り掛かる。退屈している耳はいつも、ベテラン営業部長のよく通る声の営業電話の様子を追いかけている。わたしの詩集もこんな風にビジネスの話に熟練した誰かが、名前の通った出版社の名前を掲げて売り込んでくれればな。自分自身でお寺や仏具店に飛び込み営業をかけに行く勇気がもしもわたしにあれば、現状何か変わるだろうか?実際のところは委託本を預かってくれる書店にお願いに行くことすら躊躇う小心者だから、ほとんど誰とも会話しないで済む事務の仕事についたというのに、心の中で苦笑してしまう。数秒後には忘れてしまう数字をテンキーで入力しながら、ちっとも進まない時計を見る。ルンバは今日も決まった時間にオフィスの床を掃除して回り、充電スタンドに帰っていく。毎日毎日自分のSNSで告知してるだけじゃ、同じ場所を周回してるのと同じだよな。どうやったらわたしの詩集は今のってる軌道を外れて遠くに行けるんだろう。昼休みには光熱費の支払いと、ストック用のレターパックを買いに郵便局にいくのを忘れないようにしないといけない。そして昼、郵便局の長い行列に並びながらスマートフォンでネットショップの編集ページを開いたわたしは、自分の詩集の商品説明欄に「大切な人を亡くされた方へのギフトにもおすすめの一冊です」と書き添え、#お悔やみギフト とタグまで添えた。身内の看取りを書いた詩人は今までたくさんいただろうけれど、その詩集を自らこんな風に売ろうとする詩人は今までにおったやろうか。我ながら下衆だとは思う、でも下衆なことを誰に笑われる筋合いもない。わたしはわたしの詩集を知らない人にも買ってもらいたい。願わくばわたしの詩集が一冊でも多く、必要とされる場所へと旅立ちますように。







河野宏子